アレグラン渡部のサッカーの素

愛知県東海市のスポーツクラブ "アレグラン東海” の代表の渡部貴朗が、自身のサッカー観を中心に、スポーツ、教育など気になることを素直に書いていきます!

折り鶴に願いを込めて

一昨日は、先のヒロシマにつづき、

 

ナガサキ”の日でした。

 

 

原爆投下の11時2分、

 

黙祷が捧げられました。

 

 

平和記念像を背景にした祈念式典の祭壇には、

 

今年も大きな“鶴”がありました。

 

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長崎をホームとして

 

現在、J2リーグで活躍しています、V・ファーレン長崎は、

 

長崎市への原子爆弾投下から70年という節目の年の一昨年(*2015年)より、

 

8月には、“平和を祈念したユニフォーム”を着用しています。

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このユニフォームは、欧米のメディアでも多く紹介され、

 

「スポーツが平和に対してできることの一つのあり方」

 

として、注目を集めました。

 

 

そして、今年も祈念ユニフォームは新調され、

 

先日の明治安田生命J2リーグ第26節(*対 FC岐阜)の試合において、

 

新しい祈念ユニフォームがお披露目されました。

 

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今季の祈念ユニフォームは、

 

平和の象徴である“折り鶴”をベースの柄に、仕上がっています。

 

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「平和への想い」

 

を込めた折り鶴をフロントに、

 

青や緑などカラフルな色で配置。

 

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さらに右肩にはクラブカラー、オレンジと青で描かれた

 

「8月9日」を表す8面9点の“折り鶴”がプリントされています。

 

 

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折り鶴・・・

 

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日本には、

 

病気快癒・長寿の願いを込めて、

 

千羽鶴を贈るという習慣があります。

 

 

この理由の一つには、

 

「鶴は千年、亀は万年」

 

という慣用句があることがあげられます。

 

 

また、広島市への原子爆弾投下により被爆し、

 

後に白血病で亡くなられた佐々木禎子さんが、生前に病気の回復を祈って、

 

折り鶴を折り続けたというエピソードも広く知られています。

 

 

 

ところでなぜ、

 

このたびのタイトルを“折り鶴”に設定したのか

 

といいますと

 

今年も廻ってきました原爆の日

 

より一層、強く感じるものがあったからです。

 

 

 

サッカー人としては勿論、

 

人間として

 

平和の尊さをかみしめ、

 

今日を生きていることへの感謝

 

今日の幸せを未来に繋げる努力

 

を再認識する必要があります。

 

 

 

そしてつい先日、

 

私は、わが子と“折り鶴”を折りました。

 

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1年生(次女)が折った折り鶴・・・

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私が折った折り鶴・・・

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違いは、“歴然”としています。

 

 

それがより鮮明に分かるのは、

 

『端の部分』です。

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なぜここが分かれ目になるのか・・・

 

それは

 

『細部』

 

だからです。

 

 

事実、

 

「上手くできない」

 

と不平不満を漏らしながら、

 

適当に折って

 

最後まで努力をすることなく、娘は席を立ちました。

 

 

私は、

 

慣れない折り紙に悩まされながらも、

 

「平和への祈り」を込めて

 

“上手く折れる”まで

 

折り紙に向き合いました。(細部にまで拘りました)

 

 

 

これが

 

「子どもと大人の違いである」

 

と言えば・・・

 

それまでです。

 

 

 

では・・・

 

簡単に(困難なことから)逃げ出す態度を

 

放っておいて良いのでしょうか?

 

 

 

難しくても最後までやる。

 

 

何の目的でやるのか

 

を完成するまで意識する。

 

 

 

それを誰が教えてあげるのでしょうか?

 

 

 

例えば今回のように、

 

たまたま折り紙を一緒に行った時、

 

子どものいい加減な姿に出くわすことがあります。

 

 

繰り返しますが、

 

それを

 

「子どもらしい」

 

と言えば、

 

その通りかもしれません。

 

 

 

ただ、

 

折り鶴のこの細部を整えることを

 

「面倒くさい」

 

「そこまで気づかなかった」

 

と言っているようでは・・・

 

サッカーのボールコントロールを拘れるとは思えません。

 

 

 

事実、

 

娘はボールを扱っている際、

 

 

「ほとんど拘れません」。

 

 

 

どこにボールを置くか

 

それに拘らなければ・・・

 

自分(のプレー)が苦しくなるばかりなのですが・・・。

 

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残念ながら、

 

子どもたちは「その時の気分」に、単純に流されてしまいます。

 

 

 

トレーニングの中で、

 

そのボールタッチを

 

「たかが“ワンタッチ”」と思うのか・・・

 

それとも『拘れる』のか・・・

 

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その違いによって

 

ゲーム(試合)の中での

 

“プレーの幅”

 

は、大きく変わってしまいます。

 

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その先の自分を

 

「苦しめるのか?」

 

「楽にするのか?」

 

・・・

 

それを決めるのは

 

今、その時の

 

『集中力』

 

 

『我慢』

 

です。

 

 

これができない子どもが増えています。

 

 

 

理由は簡単です。

 

 

 

そのトレーニングは、

 

 

“つまらないから”

 

・・・やらない。

 

 

一方で

 

“面白い(面白そう)だから”

 

・・・やる。

 

 

 しかし、

 

本当は、そんなことではないはずです。

 

 

トレーニングを

 

その目的や理由、中身を考えずに

 

イメージや外見で選り好みしているようでは、

 

決して上手くはなれません。

 

 

大切なことを

 

本来、大人(*経験者)は分かっています。

 

 

 

「だって子どもだからそれは・・・」

 

「子どもの頃にそれは・・・」

 

 

“それ”を放置するのか、しないのか。

 

 

 

子どもが(行き詰った)現実に直面した時、

 

傍にいる大人の判断と行動にかかっているのですが・・・。

 

 

 

難しいけれども

 

「やる(やらせる)」

 

 

難しいから

 

「やらない(やらない)」

 

・・・・・・。

 

 

 

ただ『つまらないから・・・』の理由で、

 

“やるかやらない”かを決めるのは

 

子どもだけでしょうか?

 

 

実は、

 

現代の大人も同じではないでしょうか??

 

 

 

“ラクで豊か”になった現在では、

 

日常の中で、煩わしいことは、

 

極力排除ではないでしょうか?

 

 

 

目的達成のために

 

大変なこと、困難なことに自ら取り組める人

 

 ・・・

 

何人いますか??

 

 

 

ヒロシマナガサキ・・・

 

日本各地の大空襲・・・

 

その環境下で、今日を生き抜くために、

 

70年余り前の日本人は

 

子どもも大人も一心不乱でした。

 

 

 

「面倒くさい・・・」

 

「やりたい気分じゃないから・・・」

 

そんなことを言っているような場合ではありませんでした。

 

 

 

そして、

 

人の生き死にを目の当たりにし、

 

『平和』に対しての思い入れは、

 

計り知れないものがあったかと思います。

 

 

とにかく

 

いろいろな拘りが少なくなってきた現在、

 

何もかもが

 

『まあ、これ位でいいか・・・』

 

になりつつあるように感じます。

 

 

 

やはり、

 

拘りは捨ててはいけません。

 

 

 

様々なことを面倒くさがっていては、

 

良い結果(未来)はおとずれません。

 

 

 

尊い命を大切にする

 

人生を真剣に生きる

 

・・・

 

そして、

 

目の前の何かに拘りを持って臨む。

 

 

その大切さを

 

次の世代を担う今の子どもたちに、

 

きちんと伝え導いていかなくてはなりません。

 

 

 

適当に過ごしていると、

 

気がつけば自堕落な人格が形成され、

 

サッカーのひとつひとつの局面のプレーにも

 

いい加減さが目立つようになります。

 

 

 

この先の世界、日本を支えるのは、

 

未来に生きる子どもたちです。

 

 

 

どうか子どもたちの暮らす毎日が平和でありますように。

 

 

そして、

 

子どもたちは逞しく自分の人生を切り開いて欲しいと

 

強く願います。

 

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