アレグラン渡部のサッカーの素

愛知県東海市のスポーツクラブ "アレグラン東海” の代表の渡部貴朗が、自身のサッカー観を中心に、スポーツ、教育など気になることを素直に書いていきます!

選挙

先日、7月10日に第24回参議院選挙の投票が行われました。

選挙権の年齢が引き下げられて、初めての選挙でした。

 

このたびのタイトルは、ずばり『選挙』です。

 

 ・・・???

 

「“サッカー”と“スポーツ”と、『選挙』が一体何に関係するの?」

と感じられるかも知れませんが、どうか最後までお付き合いください。

 

さて、自動車の運転には、運転免許証が必要なことは、周知の事実です。

他に、医師、学校教員の職、弁護士、税理士・・・。

日本には数えたらきりがないほど、免許があります。

 

さらには、“ふぐ調理師”という免許もあります。

ふぐ調理師・・・ふぐ包丁師、ふぐ取扱者、ふぐ処理師、ふぐ調理士、

ふぐ取扱登録者、ふぐ調理者など、全国各地でその呼び名は異なります。

ふぐ調理師というものは、各都道府県が定める「ふぐ条例」に基づくもので、

国家資格ではないからだそうです。

話を戻しますと、この免許を取得すれば、ふぐの調理ができるだけでなく、

収入の面におきましても日本料理店、料亭で調理をする板前よりも

(免許を有していることで)収入は高くなるそうです。

しかし、この免許は簡単には取れないそうです。

まず、『調理師免許』取得し、調理養成施設で一年以上、又は飲食店での二年以上の

実務経験を経て、ようやく試験所で試験を受けることができるようです。

その試験は、筆記、実務経験の二科目で、

実務は、相当の練習をしなければ受からないほど難しいそうです。

 

なぜ、このように免許取得に困難を伴うのでしょうか?

それは、誰もが知っている通り、ふぐを扱うことは、

間違えれば人命に関わることだからです。

危険度の非常に高い猛毒成分を持つふぐの取り扱いに関しては、

“充分な知識や技術” が伴わなければ、

重大な中毒事故を引き起こす要因になります。

例えば、処理した内臓を鍵付きのごみ捨てに入れ、

毒処理場にもって行かなければならないということがあります。

反対に、もし、そのごみを失くしたり、適切に処理をしなければ法で罰せられます。

ふぐを調理するということは、とても“責任重大”な仕事なのです。

 

一方、つい先日の参議院選挙ですが、当選が決定した後の取材の中で、

何人かの当選者から、次のような発言を耳にしました。

「○○問題は立候補して初めて考えるようになった。

 “これから”きっちり向き合って、その課題に取り組んでいきたい」

「●●は、“これから”勉強します」

・・・・・・

愕然としました。

当然、免許や資格を取ってからも、現場では勉強ばかりです。

しかし、世の中の様々な『重要な仕事』は、基本的に免許や資格が必要となります。

“人の生命や財産”、またその“生活や成長(教育)”に関わる仕事に携わるには、

まずは、基礎知識や技能を身につけた上で、

それが「一定のレベルに到達し」、さらに「試験に合格」していないと、

できないことになっています。

 

議員の方は、いかがでしょうか?

国民は、議員の方々に信託(信用して任せる)します。

その判断をするのが、選挙になるわけですが・・・

個人的には「後から考える人」に任せる『不安』は、計り知れないものがあります。

[↑もしかしたら、考えてくれないことも考えられなくはないからです]

力量を投票数というものだけで、計るのであれば・・・

世に聞こえる“知名度”だけで、ほぼ合格(当選)です。

しかし、繰り返しますが、免許を取得するためには、一定の経験と知識が求められ、

それを数値化するテストで、合否を客観的に計られます。

 

ただ、議員の方も大変な立場であることは、外からも感じるところがあります。

このたびの選挙で、二人区から一人区になった選挙区では、

現職の議員の方が落選されています。

ご本人ばかりではなく、秘書の方も失職。

議員会館事務所、議員宿舎もすぐに引き払わねばなりません・・・。

(落選という結果は、多くの家族を巻き込むことにもなります)

また大臣などの特別行政職にある場合は、内閣改造まではその地位にあるので、

心情的に気まずい状況も生じかねません・・・。

 政治の世界には、

「選挙の勝者はすべてを手にし、敗者はすべてを失う」

という言葉(表現)もあります。

 

ただ、やはり一国民、人間の感覚としては、

『資格を有しているのか否か・・・定かではない方』

に、大事な生命や財産を託すことはできません。

 

ふぐ調理師、国会議員、そしてスポーツ指導員、何か違いはあるのでしょうか?

あるとすれば、

「すぐさま命にかかわるか、そうでないか」

の違いだけで、

結局、一人一人の人間の生命や財産を左右していることには、

全く変わりはありません。

 
免許は、法的に禁止されていたり、制限されている行為を行えるようにするもの。

資格は、一定以上の技能や知識を持っていることを証し立てるもの。

 

であるならば、せめて『資格』は、有しておく必要はあるのではないでしょうか。