アレグラン渡部のサッカーの素

愛知県東海市のスポーツクラブ "アレグラン東海” の代表の渡部貴朗が、自身のサッカー観を中心に、スポーツ、教育など気になることを素直に書いていきます!

代表選手から学ぶ

先日、

今年さらなる飛躍が期待できるアスリートとして、

あるスポーツニュース番組の特別企画として、

サッカー日本代表の原口選手の特集がありました。

 

 

原口元気 選手(1991年5月9日-)は、埼玉県熊谷市出身。

ポジションはフォワード、ミッドフィールダー

ブンデスリーガ[ドイツ] ヘルタ・ベルリン所属。

日本代表。

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小学生時期から全日本少年サッカー大会全日本少年フットサル大会に出場して活躍。

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中学進学と共に浦和レッズジュニアユースに所属。

その後、飛び級でユースに昇格。

 

ユースチーム昇格1年目から、サテライトの試合に出場。

トップチームへの登録がスポーツ新聞で取りざたされたり、

浦和の提携先であるバイエルン・ミュンヘンから練習生としての

2年間オファーを受けるなど、動向が注目されていたところ、

2008年5月23日付けで、2種登録選手としてトップ登録。

 

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そして、5月25日のナビスコカップ、対名古屋戦で公式戦デビューを飾ります。

(▶これは、バイエルンのオファーに危機感を持ったフロントの意向があったともされています)

さらにその年の10月13日、国内ユース年代の頂点を決める高円宮杯U-18決勝、

名古屋グランパスU-18戦に出場。

1得点2アシストを挙げ、優勝に貢献。

また、AFC U-19選手権2008に出場するU-19日本代表に選出され、1試合に出場。

 

2009年1月30日に浦和とプロ契約を締結。

これは、日本人でクラブ史上最年少です。

(▶現京都のエスクデロは、17歳ちょうどで契約していましたが、その時はまだ日本に帰化前)

2009年シーズン、開幕戦の3月7日対鹿島戦でスタメンを飾り、Jリーグ初出場。

4月12日第5節名古屋戦において、負傷した田中達也選手と交代で途中出場し、

クラブ日本人最年少ゴール(*17歳11ヶ月3日)を決めます。

4月27日にはリーグ史上4番目の若さでA契約を締結。

 (▶森本貴幸選手:川崎フロンターレ、阿部勇樹選手:浦和レッズ、稲本潤一選手:北海道コンサドーレ札幌に次ぐ)

 

2011年は開幕からレギュラーに定着し、

低迷するチームの中でコンスタントに得点を重ね、チームトップの9得点を挙げ、

ナビスコカップニューヒーロー賞を受賞。

 

2014年5月25日、ドイツ・ブンデスリーガヘルタ・ベルリンへ完全移籍。

(▶契約期間は2014年6月から4年間)

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公式戦デビューとなったDFBポカール(*ドイツカップ)1回戦の

SCフォルトゥナ・ケルン戦で、

左MFに先発して移籍後初ゴールを挙げます。

それから、現在まで監督の信頼を勝ち取り、

献身的な動きで、サイドのレギュラー位置を獲得。

 

とても輝かしい経歴の持ち主です。

 

 

しかし、一方・・・

 

ロンドンオリンピックを目指すU-23日本代表の予選では活躍するも、

「本大会メンバーからは落選」。

 

ロンドン五輪へは相当の思い入れがありました。

スパイクには、日の丸をプリントしました。

2011年10月7日に、A代表デビューを果たして以来、

1度も(スパイクのプリントは)外さず、A代表の合宿期間が終わっても、

「ロンドンがあるから」と、日の丸はつけ続けました。

しかし、その夢は、叶いませんでした。

「この悔しさは、良い意味で忘れない。次の目標はブラジル。

 2年後はすぐ来てしまう。1戦1戦、気持ちの入ったプレーをしていく」

と当時コメントを残しています。

 

ただ・・・その2年後

アルベルト・ザッケローニ日本代表監督の選手選考から漏れ、

ブラジル行きの夢も潰えました。

ひとり自宅で代表発表会見を見て、

自身の名前が呼ばれなかったことを確認すると、

自らの至らなさを自覚し、さらなる成長を誓いました。

ブラジルW杯の日本代表メンバー落選直後に、

原口選手から、信頼ある記者宛てに送られたメールには、

次のように書かれていたそうです。

『実力不足。うまくなる』

 

その大きな挫折の翌年、

2015年6月、約2年ぶりに日本代表に招集され、

6月11日に行われたキリンチャレンジカップ2015のイラク戦で

日本代表初ゴールを決めます。

 

そして昨年、

2016年3月29日、W杯アジア2次予選のシリア代表戦では、

不慣れなボランチに起用されて1得点を決めて結果を出します。

つづくW杯アジア最終予選では、

タイ戦、イラク戦、オーストラリア戦、サウジアラビア戦で連続ゴールを決め、

三浦知良選手や呂比須ワグナー選手の記録を塗り替える、

W杯最終予選としては“史上初”となる4試合連続得点を記録。

 

残りの最終予選での日本を飛躍に導く、

“キーマン”になりつつあります。

 

 

番組内では、

この2つの挫折が自身を大きく変えるきっかけとなり、

現在、どのように競技に向き合っているかを取り上げていました。

 

「ドリブルとかテクニックで勝負しようと思っていたけど、

 代表に行ったときに・・・

 

 僕よりうまい選手がいた。

 

 五輪に行けなかったし、

 W杯も行けなくて

 

 何かを変えなきゃいけないなと思った」

 

 

“自分を変えたい”

 

その気持ちが芽生えた時(W杯落選後)から通い続けているのが、

日本のスポーツの最先端を研究している筑波大学

谷川聡准教授のところです。

 

110mハードルでアテネ五輪に出場した経験のある、

スプリントトレーニングの専門家の方です。

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 谷川准教授のエピソードとしては、

 講師として母校の中央大学の体育実技を担当。

(◆担当科目はフィットネスで、身体の効率的な使い方を学ぶことを目的とした授業)

 2004年、夏休み前の授業で学生に「ちょっとアテネ行ってくる」と言い残し、

 アテネオリンピックで110mハードルに出場。

 13”39という驚異的な日本新記録を樹立しました。

 

 

原口選手が追い求めたのは

スピードのさらなる強化

そのために

一から肉体改造に取り組み始めました。

 

それは、とても地道なトレーニングでもありました。

 

「切り返す時間が短いのが、

 基本的に、球技の場合は“速い”ということ・・・」

だから、

「あらゆる方向にアクセルが踏めるようにしてあげたい」

というのが谷川准教授のねらいです。

 

 

このトレーニングは、

ドイツに生活の場を移しても、

続けられ、

 

その結果、

約2年半後にMRI画像を確認すると

お腹回りの切り返す際に用いられる筋肉が

“約2倍”に増加していました。

 

そして、

その目的に焦点を当てた筋力強化は、

W杯アジア最終予選でも発揮されます。

 

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イラク戦の日本先制点となった得点シーンは、

右サイドで本田選手がタメをつくり、

その間、清武選手が縦のスペースに入り込み、

そのボールを受けた清武選手が中央に低いクロスを送り、

そのボールをニアサイドにつめた原口選手が、

右足のバックヒールで、見事にゴールを決めます。

 

ゴール前で

GKの目前で

咄嗟にヒールでボールの方向を変え

そのボールが、

相手ゴールキーパーの股を抜くシュートになります。

 

そのゴールは、“華麗なプレー”であることには違いありません。

ただ、そこにばかり注目していてはいけません。

 

このゴールの『発端となるプレー』は、

実は、原口選手が関与します。

 

自陣ゴール正面(ゴールラインから)約30mほどのところで、

原口選手は、相手に激しく身体を寄せ攻撃を阻止。(◎ボールをカット)

そのボールを清武選手が拾い、

一気に前線にドリブルで運びます。

 

つまり、

原口選手の自陣に戻っての守備が

カウンター攻撃の始まりとなり、

 

さらに、

ボール奪取と共に約50mをロングランし、

ゴール前に顔を出し、

右からのクロスボールをゴールに流しこみます。

 

 

まず、

その運動量(一連の過程で走った距離)は

特筆すべきポイントです。

 

そして何より、

 

“攻撃から守備”

“守備から攻撃”

 

『攻守の素早い切り替え』

2回行い、

それをゴールという結果につなげた

という点です。

 

この一連のプレーを

 

「ボールを奪ってから、

 相手よりも速く出ていけば、チャンスになるので

 どの相手にでも通用するゴール」

 

と原口選手自身は解説しています。

 

さらに、

自身の肉体改造を促すトレーニングに関しては、

次のように分析しています。

 

「ボールを奪いにいくのもスピードが必要だし、

 “止まる技術”が必要だし、

 そこから“方向転換”が必要だし、

 トレーニングには、それがすべて入っているので

 すべて(のプレー)につながっていると思う」

 

そして、最後にこのように語っていました。

 

「本当にこの世界は、

 大きな『ステップアップ』がないと。

 プロ8年9年やっていて分かった。

 だからなおさら、

 その一つ一つ小さなことだけれども

 やることによって、

 それが3カ月後に1点入るか、入らないか・・・。

 本当に小さな事だと思うけれど

 それしか上にいく手段が思い浮かばない。

 やるしかない」

 

 

目標はどこなのか?

 

そして

その目標に進むためには、何が必要なのか?

 

トレーニングの目的を理解し、

 

たとえ小さなことだとしても

それを意識を持って取り組むことができるか。

 

これが

『成功へのプロセス』

であると、

原口選手の取り組みを見て、

改めて強く感じました。

 

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