『辞めるか続けるか』➀ ~スパルタ式を考える~
今年度の全国高校サッカー選手権大会も終わりました。
しばらく、国内サッカーもオフシーズンとなりますね。
先日、ある高校サッカー強豪校の監督さんのインタビュー記事を読みました。
それは・・・
サッカーをする子どもを持つ親に向けたメッセージでした。
「子どもがサッカーをする望ましい環境」(*タイトル名ではありません)
ということが主旨でした。
その一部を、抜粋しますと以下のような内容です。
スパルタの方針を打ち立て、
親もわが子を鍛えてほしいと願って、
(子どもが)そのクラブに入れるケースもあると思います。
それはそれでいいでしょう。
ただ、それを望んでいない子が、
そのクラブに入ってしまうと
保護者も選手(子ども)も苦しんでしまいますよね。
それでいて、
日本には「辞めたらいけない」という文化があります。
各チームのコンセプトを見比べながら選べる環境が必要ですし、
合わなかったら辞めて、
他のチームを探せばいいんです。
サッカーを続けられる環境を作ってあげることが、
クラブ運営者や指導者には必要なことだと思っています。
・・・といったものでした。
その中で、何点か気になる点がありましたので、
考えてみたいと思います。
上記は、全文章の中の一部ですが、
その僅か数十字の文言の中で、
私が気になったのは、
次の5点。
➀スパルタの方針(⇒わが子を鍛えてほしいと願って、クラブに入れる)
➁それを望んでいない子が、そのクラブに入ってしまう
③日本には「辞めたらいけない」という文化があります
④合わなかったら辞めて他のチームを探せばいい
⑤サッカーを続けられる環境を作ってあげること
今回は、まず一つ目に気になった言葉、
『スパルタ』を考えたいと思います。
➀スパルタ方針…
多くの人が簡単に口に出してしまう
「スパルタ教育」
とはどういうものでしょうか?
過去のスポーツアニメやドラマの世界には、
無茶苦茶で、過酷過ぎる特訓ばかり課す、
強面の“スパルタコーチ”・“鬼コーチ”の存在がありました。
その(いわゆるスポ根)アニメやドラマは、
努力が実った時、選手(←ヒーロー・ヒロイン)の成長ドラマになり、
より大きな感動や刺激をもたらしました。
躾、しごきや特訓・・・。
その許容範囲は、どこまでなのか。
人によって感情や精神的な耐久力は異なりますので、
難しい問題ではあります・・・。
スパルタ式の軍国主義を支えるための教育として採用された方式・・・
これが、いわゆる「スパルタ教育」です。
そのスパルタで実際に行われていた事は、
とても壮絶なものです。
生まれたばかりの赤ん坊は、長老たちのところに連れて行かれて検査を受け、
もし、その子に何らかの問題があった場合は捨てられてしまったそうです。
また、7歳になった子どもたちは、
軍隊の駐屯地に集められていくつかの組に分けられ、
同じ規律の下、生活と学習も一緒に行われました。
そこでの規律は、「命令に服従すること」や「闘ったら必ず勝つこと」などで、
頭は丸刈りにされ、下着姿に裸足で訓練を行い、
12歳になると、下着はなくなり全裸となり、沐浴も禁止され、
上官による体罰も、全裸で行われていたそうです。
とにかくスパルタでは、子どもは国の財産として珍重されており、
その目的は「軍人」を作ることでした。
子どもたちには、厳しい軍事訓練を課せられました。
一方で、軍人として役立たない人間は不要とされました。
教育プログラムの中核は、
さらに公民教育でした。
とにかく、男子も女子も“身体的訓練”が最重要視され、
これらが、
日本では、厳しい指導環境を一律
『スパルタ式教育』
といわれる由縁となっているのです。
現代の日本の子どもの話に戻ります。
本来のスパルタの子どもの育成は、
明らかに非人間的であり、人格は無視といえます。
では、子どもを鍛えたいからといって、
安易にスパルタ式を選んで良いのでしょうか?
「わが子を鍛えたい・・・」
多かれ少なかれ、
親はわが子に
「こうなってほしい」
という願いを持っていると思います。
強くなってほしい
だから鍛えたい
という発想は、解らなくはありません。
しかし・・・
そもそもわが子がひ弱になってしまったのは、
その子が生まれてからの親の関わり、
つまり家庭の教育環境が大きく影響しています。
それを棚に上げて、(子どもを)鍛えてほしいから、
スパルタ式のクラブに入れようとする・・・。
その親の安直な考え、
また、
子どもの姿勢や態度を
“スパルタ式”で叩き直すというクラブの考え、
両者とも、何か大きくズレていると感じます。
一方で、
スパルタ方針と、
子どもへの想いを持った厳しさとは、
全く異なります。
スパルタが良いと感じる大人
スパルタでも結果(勝利)が欲しい子ども
学校やクラブでスパルタ教育を行う上で起きる事象が、
実は、「いじめ」問題でもあります。
度を越した厳しい教育を何時間、何日も連続で行えば、
心身に過度なストレスが掛かります。
そのストレスが限界に達した時・・・
指導者の見えないところで、
気にそぐわない子を、いじめるケースが出てくるともいわれています。
そして、スパルタ式の
あれもダメこれもダメ、
さらに、これに暴言や体罰も加わると・・・
子どもは*適応障害を起こしかねません。
適応障害…はっきりと確認できるストレス因子によって、著しい苦痛や機能の障害が生じており、
そのストレス因子が除去されれば、症状が消失する特徴を持つ精神障害。
ストレスが原因で、情緒的な障害が発生し、抑うつ気分や不安などを伴うことが多く、
青年期や小児期では、社会規範を犯すなど素行の問題が現れることがあります。
現代のスポーツの世界で、
▲スパルタという言葉が、未だに普通に出回っていること。
▲スパルタという言葉が持つ意味(その内容)が、正しく理解されていないこと。
▲子どもを想う(時に厳しい)働きがけが、スパルタに置き換えられてしまうこと。
日本のスポーツの世界に、
本当のスパルタ式がまかり通ってしまうなら・・・
残念ながら、子どもの未来は明るいものとはなりません。
但し、
繰り返しますが・・・
私は、
「ただの甘やかし」
を推奨しているわけでは決してありません。
泣いて拒む子に対し、
毅然と対応できる親や指導者は、
厳しくても
“優しい大人”
です。
そして、
泣いていた子が困難を少し乗り越えた時に
『よく頑張ったね』
と褒めてあげる。
努力に対して、正しい評価をしてあげること・・・
ここが大切なポイントです。
一方、これに対し、
“甘く対応する大人”は、
子どもに無理はさせず、
簡単に逃げ道を与えながら、
「泣かないって、言ったくせに!」
と子どもにあたってしまう。
大人自身が、自分に甘くなっている典型的なパターン
です。
極論になりますが・・・
●幼少期の子どもに“明確な”意思はありますか?
(昨日言っていたことと、今日言っていることの違い・・・多々ありませんか?)
●正しい判断を子どもに委ねることはできますか?
(例えば、財布、運転、その他、重要なことを子どもに任せることはできますか?)
『大人が覚悟を決めれば、子どもはやります』
その覚悟を持った大人の態度は、
決して、“スパルタ式ではありません”。