アレグラン渡部のサッカーの素

愛知県東海市のスポーツクラブ "アレグラン東海” の代表の渡部貴朗が、自身のサッカー観を中心に、スポーツ、教育など気になることを素直に書いていきます!

夢って?自分って?成長って??

先日、近隣の市でも

二分の一成人式

という行事が行われたそうです。

 

自身の娘も、来年度その対象(10歳)になります。

 

噂では耳にしていた、

この式の映像をニュースで観ました。

 

そこでは、学校単位ではなく市を挙げて行われており、

大きなホールで、しかも市の来賓も出席しての大々的な式でした。

 

“二分の一”ではなく・・・

 

“本物の成人式”といった感じでした。

 

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ただ・・・

画面から伝わってきます式での子どもたちの様子は

 

一言でいえば・・・

 

ある国の子どもの舞台発表(?)のような印象を受けました。

 

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つまり 

 

「不自然」

「子どもらしくない」

 

大きな違和感 を覚えました。

 

 

実は、サッカーの現場(試合会場など)でも

 

よく見受けられます。

 

 

“らしくない”、奇妙な(大人のような)子どもたち・・・。

 

プレースタイル

 

ボールの持ち方

 

そして

 

身なり

 

 

『“子ども”のようではない子ども』

 

を・・・。

 

 

一体、それを促しているのは誰でしょう?

 

 

それは正に・・・その子たちの周りにいる大人です。

 

 

 

実は、わが子が通う小学校でも

 

“子どもらしくない”姿

 

を見ることがあります。

 

なにかとお世話になっています学校のことを、

ここで書くのは少し心苦しくはありますが、

勇気を出して書きます。

 

 

例えば、 

子どもの音楽発表会(学校行事)などの歌。

 

まるで“合唱団”のような声。

 

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不思議なその声(*声色)について、

 

一度だけ、わが子に尋ねたことがあります。

 

「どうしてみんな(なぜ)そんな声なの?」

 

返ってきた言葉は・・・

 

「普通の声じゃなくて、“裏声”じゃないといけない」

 

というものでした。

 

 

どうやら、これが“カッコいい”からという理由

 

(その歌い方を)子どもたちに植えつけているようです。 

 

 

その他、

 

 体を左右に揺すりながら歌うのはなぜ?

 「サンハイ」の“号令”に合わせてお礼を述べるのはなぜ?

 

など、聞きたいことは山ほどありますが・・・

 

子どもには全ては聞けません。

 

間違っても(わが子が)学校不信になってはいけないからです。

 

 

しかし、やはりどこか不自然なのです。

 

わが子が家で(アニメなどの)歌を歌っている声は、

 

『元気の良い、所謂“子どもらしい”声』

 

です。

 

 

私は、この歌声こそが子どもらしく、

 

生き生きした声だと感じます。

 

 

 

さて、

冒頭に述べました“二分の一成人式”です。

 

テレビニュースで放送されていた子どもたちは、

当日までに、さぞ練習を重ねたことでしょう。

 

 

ただ一方で、 

マイクに向かって話す

 

「話し方」

「話の内容」

 

・・・

 

『あまりにも優等生』過ぎて、

 

逆に違和感を覚えました。

 

 

そこで自身がよく分かっていないこの

 

二分の一成人式

 

について、インターネットで検索をかけてみました。

 

 

驚くことに上位に出ていますのは・・・

 

「親から子どもに書く手紙の書き方と例文」

 

でした。

 

 

親が“二分の一成人式”を迎える子どもに手紙を書くので、

 

その文章の書き方指南というわけです。

 

 

何とも情けない・・・。

(文例がないと、わが子に対しての手紙が書けないのか・・・)

 

 

ところで一方、“二分の一成人式”というもの・・・

 

「感動した」、「涙が止まらない」

 

という保護者さまが多いようです。

 

 

二分の一成人式”というものについては(具体的には)、

 

子どもに自分の育ってきた10年の歴史を振り返らせたり、

 

親への感謝の手紙を書かせたり、

 

学校によっては「二分の一成人証書」の授与、

 

校長先生や保護者代表の祝辞、

 

合唱などが行われるそうです。

 

 

“10歳”と、きりのいい年齢になったことを、

ひとつの節目として位置づけ、

子ども自身が自分の成長を振り返り、

育ててくれた人を感謝するセレモニー・・・

 

という趣旨は、一見すばらしいことのように思えますが・・・。

 

 

やはり私は疑問です。

 

 

このイベントは、誰のイベントでしょうか?

 

この将来の夢は、誰の夢でしょうか?

 

人生経験たった10年の人間が、

何をどこまで分かりますか?

 

 

人生20年を経た人間が出席する、

本当の成人式でも・・・

 

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男子も女子も(*男性・女性でなく、あえて男子・女子と書きます)

人格が未形成の成人が、

まるで着せ替え人形のように着替えをして、

「式会場を訪れているだけ」の姿を見かけます。

 

さらに、会場によっては・・・ 

 

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テーマパークを会場にして

成人がはしゃぎまわっている姿を目にします・・・。

 

20歳で、この様子です・・・。

 

 

では、

 

“(本当の成人の半分の)10年しか生きていない子ども” が

 

どんなことを語れるのでしょうか?

 

 

家庭環境も複雑な時代です。

 

その中でも執り行わなければいけない二分の一成人式

 

先生方のご苦労も計り知れないものがあります。

 

 

しかしながら、実際の主役の子どもにとっては、どんな行事だったのでしょうか。

 

数年後には

 

「意味なかったよな」

「覚えてないな」

 

といった答えが、

 

実際に(中高生になった)子どもたちから返ってくるようです。

 

 

先生はあんなに苦労して、

 

保護者たちはあんなに感動して泣いたのに・・・

 

 

結果的に、実を伴っていない行事のようです。

 

 

子を持つ親として、解ることがあります。

(決して子どもをバカにしているわけではありません)

 

子どもは子どもでしかありません。

 

大人のようなことはできません。

 

 

子どもにその(大人の)真似ごとをさせて満足しているのは・・・

 

実は、大人ではないでしょうか?

 

 

10歳の子がそれほどしっかりしているのなら・・・

 

その10年後は、

もっと立派に成人式を迎えているはずです。

 

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二分の一成人式”から数年を経た

高校生年代の青年たち・・・

 

果たして、

自分の夢や目標をはっきり語ることができるでしょうか?

 

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実際に、社会に出た社会人でも・・・

 

 自分の人生(天命)

 自分の仕事(天職)

 

について語れない人は、多いのではないでしょうか?

 

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では、繰り返しますが、

 

「10歳の子が自分のこの先の自身について」

 

どこまで語ることができますか?

 

 

やはり、かなり無理があるように感じます。

 

 

『子どもの頃に子どもとして過ごすこと』

 

背伸びをさせるのではなく

また一方で

甘やかすわけでもなく

 

大人が地に足をつけて

 

“正しく子どもに向き合う”ことが、

 

『子どもの真の成長』につながると信じています。

 

 

 

サッカーも全く同じです。

 

子どもにプロのようなことをさせて満足している大人・・・

 

いませんか?

 

状況を無視した

 

云わば

 

意味のないフェイント(ルーレット、エラシコ等)

不必要なドリブル

 

 ㊟フェイントやドリブルが悪いわけではありません。

 

などなど・・・

 

子どもたちが、試合中に状況判断なくプレーする姿をよく見かけます。

 

子どもは、本当のこと(*本物のサッカー)を知らないがために、

 

簡単に大人に影響されます(感化されます)。

 


こういうシステム

ああいうフォーメーション

そういう戦い方

・・・

さらにはおしゃれプレー

・・・・・・

・・・・・・・・・

 

YouTubeなどで、断片的に海外のプレーに影響を受けた大人が

 

「世界基準は、これだ!」

 

と子どもに言ったとします。

 

 

その内容が大きく矛盾した指導でも、

 

子どもは容易に「大人の言いなり」になります。

 

 

大人の言いなりになった子どもの姿を見て

 

『成長した』

 

と、大人が満足しているようでは・・・

 

残念ながら、子どもの真の成長は得られません。

 

 

 

二分の一成人式”において

 

「サッカー選手になる」

 

と言った子たちは、

 

その5年後、

 

さらに10年後に

 

 

何を想い、何を語るのでしょうか・・・?

 

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