【短編】夏休みに想う・・・ ~楽して手に入るものはない~
気がつけば、
子どもたちの夏休みもあと少し。
ついこの間、夏休みがスタートしたかと思えば、
もう残り10日。
時間が経つのは、本当に早いです。
今夏の休み前に、
下の1年生の娘が、小学校から観察セットを持って帰りました。
(そういえば現在4年生上の娘も、当時持って帰っていました)
しかし・・・
残念なのは、
その後です。
肝心の水やりを怠ります・・・。
“夏の花”である朝顔の特徴は、
多くの方がご承知の通り、
「水を欲しがる」
ということです。
ベランダの朝顔は、
みるみる萎れていきました。
見かねた私は、
ある時から水やりを始めました。
娘の尻拭いをしたいからではなく・・・
まず、
朝顔が可哀想だったから。
娘に言おう言おうと何度も思いました。
しかし・・・
言われて水をやっても意味がありません。
反対に
自分自身が水をあげていなことにいつ気づくのか・・・
その“気づき”を、私は待っていました。
ただ一向に、気づく気配もありませんでした。。。
そして数日後、
一時は弱っていた朝顔から
きれいな花が咲きました。
そしてそれを見た娘は
「朝顔が咲いてる~」
です。。。
呆れ果てて・・・
声も出ませんでした。
ただ放っておいては、問題です。
一度枯らしかけたことを知らず、
花が咲いたことを喜んでいるようでは・・・
先が思いやられます。。。
後悔した娘は
涙ながらに水やりを誓いました。
しかし・・・
しばらく水やりを続けていましたが・・・
やはり毎回はできず忘れがち・・・。
ポット(鉢)の土の状態を
「乾きがないか」
葉や茎の様子をチェックして
「弱っていないか」
注意を払いながら、
適宜、水を(時に肥料も)与えていました。
そうしていると・・・
朝顔は順調に育ち
実が生りました。(種をつけました)
それ(種をつけた朝顔)を見た娘は、当然大喜び・・・。
『結果』
が出たからです。
しかし・・・
その結果は
“自分”の根気
“自分”の努力
で得た結果でしょうか?
明らかに違います。
他人によって叶えられた結果は、
ただの『カタチ』
でしかありません。
また一方で人間は、
カタチ(結果)が大好きです。
にも関わらず、
コツコツと努力すること
は苦手です。
だからついつい
楽をして利を得よう
とします。
しかし、
それで一体何を得るのでしょうか?
殊更
サッカーという足という日常生活の中において
「複雑なことに用いない部位」を使い、
“繊細なボールタッチ”を求められます。
では、
そのボールタッチは
インスタントのように、簡単に手に入るでしょうか?
また
誰かに賄ってもらうことができるでしょうか?
・・・できませんね。
自分で手に入れる以外、方法はありません。
正しいことを意識しながら
その繰り返し、
また繰り返し、
・・・
反復練習を通して、
“正しいボールの置き場所”が、
身についていくものです。
何の苦労もせず、
花や実が生るのを待っているだけでは・・・
その日は残念ながらおとずれることはありません。