アレグラン渡部のサッカーの素

愛知県東海市のスポーツクラブ "アレグラン東海” の代表の渡部貴朗が、自身のサッカー観を中心に、スポーツ、教育など気になることを素直に書いていきます!

2018ワールドカップ総括【日本の課題❸】

多くのワールドカップ関連(ロシア大会)の記事で

 

試合とは関係なく

 

日本の事として採り上げられたニュースがありました。

 

 

それは

 

『ゴミ拾い』

 

そして

 

『日本代表のロッカールーム』

 

でした。

 

・・・

 

先に結論ですが

 

・・・・・・

 

もうこの関連の記事には

 

正直、ウンザリしています。

 

 

 

なぜ❓

 

 

“ゴミを拾うこと”

 

“ロッカーをきれいにすること”

 

全て

 

「美しく、気持ちの良いニュースじゃないですか!」

 

と、ご指摘を受けそうですが・・・。

 

 

 

一方、

 

そのようなニュースが出ることこそ

 

“日本の課題”ではないかと

 

私は感じてしまうのです。

 

 

 

では、

 

ゴミ拾いから考えてみましょう。

 

 

 

今回のW杯で、

 

日本人サポーターが行った

 

“ゴミ拾い”

 

が称賛を受けました。

 

 

コロンビアが負けてもゴミ拾いする姿に感動広がる。“日本発”サポーターの掃除がワールドカップを変えた

 

W杯敗退後、泣きながらゴミ拾いをする日本人サポーター 海外から「リスペクト!」の声 – grape [グレイプ]

 

 

f:id:alegruntokai:20180910182228j:plain

 

 

 

しかし、

 

その一方でその行為に反対する意見も出ています。

 

 

イギリス人サポーターで、

 

地元チームのサポーターズクラブ代表の男性は

 

「日本人のスタジアムでのゴミ拾いの行動は、奇妙にさえ思えた」

 

とのこと。

 

(ゴミ拾いについては)「自分の娘も含め多くの人が共感した」

 

としつつも、

 

それに反対する見解を述べました。

 

 

その言葉とは、以下の通りです。

 

「イギリスのサッカーファンの大多数は、応援が目的。

 ゴミ拾いをしてチームをより大きく見せようとは考えていない。

 ゴミ拾いの費用はチケット代に含まれるべきとイギリス人は考えると思う。

 我々は決して真似することはないでしょう」

 

・・・

 

なるほど

 

ゴミ掃除が周囲に与える影響・・・

 

(最近の流行りの言葉で言えば)

 “あざとい”

 

と捉えられることかも知れません。

 

 

また、

 

“お金を払って観に行っている”のは事実ですから、

 

「別にゴミ掃除などする必要はない」

 

という、

 

その意見はあながち間違ってはいません。

 (私は反対ですが)

 

f:id:alegruntokai:20180910141731j:plain

 

 

この言葉を目にして

 

私は、自宅の書庫内のある一冊の本を思い出しました。

 

 

「決定力」の育成法(東邦出版発行 著:下田哲朗 監修:A・P・マリーニョ

 

には、次のように書かれています。

 

[引用:さまざまな(サッカーの)環境に関するクイズ・・・]

Q:日本では、

  試合後の清掃を手伝ってくれる人を試合中に募集していることがあります。

  1998年(W杯)フランス大会では

  試合後に紙ふぶきを片づけている日本人サポーターが話題になっていました。

  ブラジルも試合後は、

  紙くずや食べ物の袋などいろいろなものがスタジアムには落ちています。

  ではブラジルでは

  試合後ゴミを片づけているサポーターがいたらどうなるでしょう?

 

  A 笑われる

  B 怒られる

  C 誉められる

 

答えは・・・

 

  B 怒られる

 

です。

 

 

その理由とは、次の通り書かれています。

 

  「人の仕事を奪うな」と清掃員から怒られます。

  彼らはゴミを片づけることによって給料をもらっています。

  もし、ゴミが無くなってしまえば彼らは職を失うことになるからです。

  ですから過度に汚す人は清掃員に喜ばれるのです。

  日本では片づけのお手伝いを呼びかけると必ず清掃する人が出てきます。

  「なぜお金を払って仕事をするのか?」

  ブラジル人から見ると日本人の行動は非常に不思議に映るようです。

  これも国民性の違いと言えるのでしょう。

 

 

正に、

 

先の男性が発した言葉の理由を、明確に表した内容でした。

 

 

 

またある中国メディアは、次のような記事を出しています。

 

「日本代表の試合を応援するためにロシアまで駆けつけたサポーターは

 試合後のごみ拾いで世界の称賛を勝ち取った

 一方で、W杯で盛り上がった渋谷(国内)は、ゴミだらけになった」

 

 

そしてその記事では、

 

日本代表がコロンビアに勝利したことは世界を驚かせると同時に、

 

日本のサポーターたちが自発的にスタジアムのごみ拾いを行い、

 

世界中から称賛されたと紹介。

 

 

しかし、

 

こうした日本人のごみ拾いの行為は

 

「欺瞞(ぎまん)」 ▶欺瞞…あざむくこと。だますこと。

 

であるとの見解を示しました。

 

 

なぜなら、

 

コロンビア戦の後の渋谷は

 

ごみ捨て場のようにゴミが散乱していたことが理由。

 

 

 

「日本人サポーターがスタジアムで見せた行為と

 (渋谷が)鮮明な対比をなしていた」

 

と論評。

 

 

さらに、

 

渋谷に集まり、ゴミを街中に捨てて立ち去る一部の日本人に対しては、

 

日本のネット上でも

 

「スタジアムでゴミ拾いをするサポーターの顔に泥を塗るべきではない」

 

といった声が存在することを紹介する一方で、

 

試合後の渋谷がゴミだらけとなった光景は事実であるとし、

 

「どちらが本当の日本人の民度なのか分からない」

 

との見方を示しました。

 

 

 

 

ゴミ問題から端を発したこのたびのテーマ。

 

 

何か混沌としてきましたが、

 

さらに深掘りし、整理したいと思います。

 

 

f:id:alegruntokai:20180910180647j:plain

 

 

W杯試合後の渋谷のゴミ問題について、

 

その状況を検証します。

 

 

ゴミの散乱、そしてそれを片づける動画がSNSでも拡散されました。

 

それにより、ゴミ片づけの輪が広がったことも事実です。

 

グループリーグ最終節のポーランド戦後、

 

人でごった返すJR渋谷駅前で、ある若者がゴミを拾っていました。

 

なんとその方は、就職活動で上京した大学の4年生(22歳)。

 

取材に対して

 

「現地で試合後のスタンドでごみを拾っているから、日本でも、と思って」

 

とコメント。

 

さらに、

 

28歳の団体職員の方は、友人6人と袋を広げて行き交う人に

 

「ゴミをもらいます」

 

と声をかけていました。

 

捨てる前に声をかければ、

 

ポイ捨ては減るという考えからの行動

 

だそうです。

 

f:id:alegruntokai:20180910181719j:plain

※参考画像です 

 

いずれもきっかけは動画サイトのYouTubeを通じて。

 

 

YouTubeの人気投稿者たちが、

 

初戦のコロンビア戦後にごみを拾う動画をアップ。

 

その動画を見たり、当日に拾う姿を見かけたりして、

 

自発的な活動が広がったようです。

 

 

1人でごみを拾っていた大学1年生の男性は、

 

「袋を分けてほしい(手伝いたい)という人がいて感動した」

 

とのこと。

 

 

 

日本人には、外国の方には少し理解しがたいほどの

 

“美意識”

 

というものが存在しているということが感じられる光景です。

 

 

さらに、このゴミ拾い・・・

 

企業を挙げての大きな運動となっていたようです。

 

サッカー少年や通行人とともに渋谷でゴミ拾い カンボジアへ100個のサッカーボールと石けんを届ける|アンファー株式会社のプレスリリース

 

 

What's this?

 

・・・

 

心の表し方は様々なのでしょうが

 

・・・・・・

 

個人的には、

 

ゴミ拾いは各個人の意思で行うものであり、

 

地域や行政はあり得るとしても、

 

私的な企業が社を挙げて行う手法には

 

違和感を覚えます。

 

その(違和感の)最大の理由・・・ 

 

「ゴミを持ってきた人にはプレゼント???」

 

 

 

ここまできたら、大きなズレを感じます。

 

 

 

 

 

渋谷の件は、ここで切り替えます。

 

 

続いて、日本代表のロッカールームの件です。

 

 

W杯ノックアウトステージ、ベルギー戦で敗れた後の

 

日本代表のロッカールームが大きな話題を呼びました。

 

長谷部、世界で称賛のロッカー清掃は「スタッフ」 - 日本代表 : 日刊スポーツ

 

世界称賛した日本代表の“ロッカー清掃”きっかけは本田の一声 槙野明かす― スポニチ Sponichi Annex サッカー

 

 

それ(ロッカールームの清掃)は、

 

「誰が呼びかけたのか?」

 

はたまた

 

「選手自身が行ったことなのか?」

 

ということは関係がありませんし、

 

「その画像の投稿は誰が行ったものか?」

 

も、ここでは全く採り上げるつもりはありません。

(ちなみに画像をTwitterに投稿したFIFAの運営スタッフは、守秘義務に違反したとして解任されたそうです)

 

 

このロッカールームの件を題材に

 

「何を考えたいのか」

 

それは、

 

『日本人とは何なのか?』

 

それ(identity)を

 

国を代表する代表チームの行動から考えたいのです。

 

 

 

 

「良い悪い」

 

とか

 

「W杯優勝国を辱める」

 

とか

 

そのようなことでは全くありません。

 

 

ただ一つのロッカールームの画像から感じる

 

日本人らしさというものが分かったような気がしました。

 

うっちゃん on Twitter: "日本代表のロッカールームが綺麗だと世界中で賞賛されていますが、ここでフランス代表のロッカールームを見てみましょう… "

 

 

これこそが、

 

ジャパン・ウェイ

 

でもあります。

 

 

日本とフランスの文化や意識の違いなのでしょう。

 

 

やはり日本人には、

 

外国にはない

 

『日本独特の“美意識”』

 

というものが備わっているということです。

 

 

 

それについては、

 

同じアジアの中国も(一部、異議ありとしながらも)一定の評価を示しています。

 

中国中央テレビCCTV)の解説者の劉嘉遠 氏は、次のように論じています。

 

本のロッカールームの話は、

 小さいころからマナー教育をちゃんとやってきたことの表れ。

 それは国が発展していようがいまいが関係ない。

 公徳心があり清潔を愛するというのが基本的な国民の素養になっている」

 

 

逆にこの評価を日本人は、

 

どのように受け止めるべきでしょうか。

 

 

外国からの高評価を

 

そのまま受け取って良いものでしょうか?

 

 

身近なところに見え隠れする

 

現代の日本社会(日本人)の姿。

 

 

 

スタジアムでゴミを拾う人ではなく

 

スタジアムでゴミを捨てる人

 

 

渋谷でゴミを拾う人ではなく

 

渋谷でゴミを捨てる人

 

 

ロッカールームを片づける人ではなく

 

ロッカールームでゴミを捨てる人

 

 

・・・・・・・・・

 

 

後者が着実に増えています。

 

 

 

身近なところにも

 

所謂、“だらしない”人

 

多く見かけませんか?

 

 

グラウンドや公園でも、

 

本当に多くのゴミを見かけるのですが・・・。

 

 

誰かが捨てたものではなく、

 

どこかから偶然、飛来してきたものなのでしょうか?

 

f:id:alegruntokai:20180910110613j:plain

f:id:alegruntokai:20180910110750j:plain

f:id:alegruntokai:20180910112054j:plain

f:id:alegruntokai:20180910122818j:plain

f:id:alegruntokai:20180910124759j:plain

 

 

誰がこのようにしてしまったのでしょうか?

 

 

大人?

 

子ども?

 

 

とにかく、

 

身近なところから

 

美意識の崩れが、明らかに進んでいます。

 

 

 

f:id:alegruntokai:20180910184321j:plain

 

サッカーが好きな人が

 

スタジアムでゴミをその場に捨てて帰れますか?

 

 

 

f:id:alegruntokai:20180910184910j:plain

 

サッカーが好き、好きではないに関わらず、

 

道路、公園にゴミを捨てて立ち去りますか?

 

 

 

立つ鳥跡を濁さず

 

という故事があります。

 

 

立ち去る者は、

 

見苦しくないようきれいに始末をしていくべき

 

という戒めです。

 

 

つまり、

 

『引き際は美しくあるべきだ』

 

ということです。

 

 

 

この観念が、日本人に根付いているのなら・・・

 

例え、W杯で敗退した後であっても、

 

あの日本代表のロッカールームの様は

 

全く不思議ではないものと思います。

 

 

特別な“美談”として、

 

持て囃されていること自体が不思議です。

 

 

 

そして、

 

ゴミ拾いに対しての賛辞。

 

 

「ゴミを拾う」

 

これも素晴らしいことだとは思いますが・・・

 

ゴミを見つけたのにも関わらず、

 

あなたは跨いで通りますか?

 

 

 

ゴミを拾うのは、

 

裏返せば“当たり前のこと”

 

ともいえなくはありません。

(*過去の凄惨な事件の教訓からも、ゴミを拾うのも判断が必要な時代ですが・・・)

 

 

そして、

 

ゴミを不適切にその場に捨てること自体が異常なこと

 

なのではないでしょうか。

 

 

そして、

 

ゴミと景品を引き換えという手法。

 

 

やらないより、やるほうが良い

 

行動を起こさなければ何も始まらない

 

・・・

 

解ります。

 

 

でも、

 

ゴミ拾いを

 

ファッションやスポーツにするのは、

 

あまりにも強引・・・

 

焦点がずれています。

 

 

GOMI ファンタジスタプロジェクト

 

という活動があるようですが、

 

ご興味のある方は、そのような活動に参加するのも

 

ゴミを拾うきっかけになるかと思いますが・・・

 

このような動きを見るたびに、

 

日本人の

 

著しい意識レベルの低下

 

を感じます。

 

f:id:alegruntokai:20180910190445j:plain

 

 

ゴミを拾う前に捨てないこと

 

ゴミを当たり前に拾えること

 

それは・・・

 

“人としての当たり前”

 

のこと。

 

 

 

 

ゴミ拾いやロッカールームが

 

これほどまでに採り上げられている日本は、

 

明らかに何かが足りなくなっています。

 

 

 

まず、

 

大人たちが、今一度、個々の道徳心を省みる。

 

 

そして、

 

子どもたちに、確実に徳育を施す。

 

 

 

今、日本は、

 

本気で日本人のストロングポイントを見つめ直す時にきています。

 

f:id:alegruntokai:20180910191321j:plain