アレグラン渡部のサッカーの素

愛知県東海市のスポーツクラブ "アレグラン東海” の代表が、自身のサッカー観を中心に、スポーツ、教育など気になることを素直に書いていきます!

ドンマイでは片づけられないことがある

更新が滞っていますが、

 

別ブログになりますが

 

情報発信は小刻みに続けておりますので

 

もしよろしければ、

 

お立ち寄りください。

ameblo.jp

 

 

 

さてさて、

 

今日、

 

インターネットのニュースで

 

次のような記事を目にしました。

 

 

www.daily.co.jp

 

 

記事の中の

 

石原氏の発言を抜粋しますと

 

・・・

 

「森さん自身の発言、良い悪いって言ったら今の時代に即してないし。

  ただ昭和にはそういう考えをしていた方がいたのは事実。

  責任がある方がそういうことを言う言葉ではないのは分かっている」

 

と、ありました。

 

 

 

昭和?

 

 

時代によってものの考え方や見方や思考等が変化する(している)ことは、

 

紛れもない事実です。

 

 

ただよくありますよね。

 

「これ昭和(古くない)?」

 

と言った言葉。

 

 

 

古い、新しい関係なく、

 

変わらないものがあるのも事実

 

ではないでしょうか。

 

 

 

予め書きますが、

 

私は森氏のこの発言は、

 

あってはならないものである

 

と断言します。

 

 

 

その理由に関して、

 

段階を追って書いていきます。

 

 

 

昭和、平成、令和と、

 

元号は変わりました。

 

 

 

このブログをご覧になられていらっしゃる方の大半は、

 

正にこの3つの時代を歩まれているのではないでしょうか。

 

 

 

少し目線を変えてみましょう。

 

 

 

サッカー・・・

 

 

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style.nikkei.com

 

 

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サッカーは、時代と共に

 

ボール、シューズはもちろん

 

システムや戦術も

 

変化してきています。

 

 

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近年では

 

VARの導入で

 

より判定も明確化されてきました。

 

 

 

大きな波が来ています。

 

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しかし、

 

サッカーは、

 

どのようなスポーツでしょうか?

 

 

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ボール、ゴール、プレーヤー(味方、相手)

 

この“3つ”が大きく関与していることは

 

『時代が変われど不変のもの』

 

です。

 

 

 

プレーヤーは11人(×2チーム)

 

ゴールは8ヤード(7.32m)×8フィート(2.44m)

 

ボールは5号(☚中学生以上一般サイズ/周囲68~70cm,直径22cm,410~450g)

 

この条件(※フィールドの大きさや競技時間等詳細は割愛します)で

 

手と腕以外の部分を用いてプレーします。

 

 

 

これは、

 

どれだけ時代が移り変わろうと、

 

ボールを手や腕のように使いこなすことができなければ、

 

ピッチで自由を得ることは難しくなります。

 

 

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ですので、

 

手のように足を使いボールをコントロールすること

 

は、永遠の(不変の)課題ともいえるのです。

 

 

 

 

で、

 

サッカー(の例え)から

 

本題に戻ります。

 

 

 

(このたび石原氏が言っている意味は、分からなくはありませんが)

昭和であっても令和であっても

 

ダメなものはダメ。

 

 

 

まして、

 

世界のスポーツの祭典の五輪。

 

 

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そのホスト国を取り仕切るトップの発言としては、

 

由々しきものです。

 

 

 

そして、

 

次につなぐ(石原氏の)コメントです。

 

 

「その中で、なにか一つあったときに、

  今の世の中、不寛容っていうんですか、

  一つのことで何も許さないと。

  その中で人はトラブル、ミスもあるけど、

  それを助け合って乗り越えていく部分が

  あまりにもなくなりつつあるっていうのは、

  森さんのことだけじゃなく、危惧する」

 

 

 

「助け合う?」

 

 

 

「乗り越えていく??」

 

 

 

❔❓❔

 

 

 

聞こえは大変よい言葉

 

です。

 

 

 

しかし、

 

一方、

 

責任

 

という観点ではどうでしょうか❓

 

 

 

例えば、

 

相撲。

 

 

その相撲の行司は、

 

大変重要な任務です。

 

 

だから・・・

 

大相撲の中でも

 

特に重要な取組を担う

 

立行司

 

の腰には

 

『短刀』

 

があるのです。

 

 

短刀❔

 

 

そう、

 

刀です。

 

 

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なぜ刀??

 

・・・

 

ご存知の方も多いかと思いますが、

 

差し違え、つまりミスジャッジがあった際には

 

その場で切腹をする覚悟を示すもの。

 

 

つまり、

 

それほど

 

「真剣に(命がけで)やっていますよ」

 

という意思表示。

 

 

余談にはなりますが、

 

(江戸時代の)武士が差す大刀の本差と

 

合わせて差す小刀の脇差とは異なります。

(※鍔がありません)

 

 

また、

 

差し違えでお辞めになられた方はいらっしゃっても、

 

さすがに

 

切腹をした行司さんの記録は残っていない」

 

ようです。

 

 

 

脱線した話を再度戻します。

 

 

そして、

 

今回の石原氏の発言です。

 

 

『トラブル、ミスもあるけど、

 それを助け合って乗り越えていく部分が

 あまりにもなくなりつつあるっていうのは、

 森さんのことだけじゃなく、危惧する』

 

という部分はどうでしょうか?

 

 

大相撲の立行司

 

 

五輪大会組織委員会会長

 

 ・・・

 

比べることはできないことと承知の上で

 

そこを敢えて述べるのなら

 

・・・

 

・・・・・・

 

その責任の重さから言えば、

 

五輪ではないでしょうか。

(☝大相撲を軽視している訳では決してありません)

 

 

「助け合って乗り越えていく」

 

という言葉も

 

どこか釈然としません。

 

 

 

終始、上から目線の人を誰が助けるのでしょうか。

 

 

 

この類の話・・・

 

子どもでも分かります。

 

 

なぜなら、

 

日本昔話では

 

高慢ちきなおじいさんやおばあさんは

 

誰からの救いの手もなく、

 

最終的には神様にも見放され

 

必ず痛い目に遭います。

 

 

 

今回の発言で、

 

組織委員会会長が

 

痛い目に遭えばいいとは思いませんが、

 

 

私たちの日本の品位や風格まで疑われかねない

 

それほどの

 

(逆な意味で)重い一言

 

だったと思うのです。

 

 

 

寛容とは、

 

どのようなことを指すのでしょうか?

 

 

 

自己主張、自己表現は、

 

どこまでの範囲が認められるのでしょうか?

 

 

 

そして、

 

「人の上に立つ、采配を振るう人は、

 

 覚悟と責任が常に隣にある」

 

ということを意識する必要がある

 

のではないでしょうか。

 

 

 

「寛容と不寛容」

 

「自己主張と自分勝手」

 

・・・似ているようで違いは明らか

 

 

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失敗した(ミスをしてしまった)人に対して、

 

私たちの身近なところで

 

「ドンマイ!」

 

という言葉を耳にします

 

が、

 

ドンマイで片づけられない、

 

片づけてはいけないこともある

 

のです。

 

 

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