命を育てる
このたびの熊本地震での亡くなられた方が、昨日の時点で47人になったそうです。
余震も続く中、被害の情報が入るたびに心が痛くなります。
失われてしまいました尊い生命に、心よりご冥福をお祈りいたします。
さて、昨日ですが、私のクラブに小さいお友だちが見学されていらっしゃいました。
見学といっても・・・つい先日お生まれになられた赤ちゃんですので、お母さんに抱っこされているだけです。
しかし、生まれたばかりの赤ちゃんのかわいいこと!
手は小さく、目は限りなく透き通っていて、ずっと見ていても飽きない可愛さです。
一方、気がつけば、隣にいるわが子は本当に大きくなりました。
でも、その娘たちにも(当然ですが)生まれた日がありました。
妻の初めての出産の際、安堵や嬉しさ、いろいろな気持ちがこみ上げて、人目もはばからず涙してしまいました。
「命は大切だ」と教えられてきましたが、その時、改めて命の偉大さや尊さを知りました。
話は少し逸れてしまいましたが、
昨日、久しぶりに目にした赤ちゃんの可愛さに、妻も感動していました。
「赤ちゃんて、本当にかわいいね」
そう、その通りです。
ただ・・・そのかわいい赤ちゃんを、“いかにして育てていくか”が大切になってきます。
昨日の活動の中で、子どもたちに問いかけました。
(昨日)活動を共にした子どもたち(*年長児から3年生)は、正に赤ちゃんと近い世代です。
「どうして赤ちゃんは、かわいいのかな?」
「そのかわいい赤ちゃんを、どうしてあげればいいのかな?」
私の問いかけに対して、いろいろな答えが返ってきました。
結論としては・・・「小さいからかわいい」→だから(小さいから)「優しくしてあげないといけない」といった答えでした。
「ところで、みんなと赤ちゃんの違いはどこかな?」
「赤ちゃんは、体育教室で活動ができるかな?」
という問いに対しては、(自分たちは)「言葉が話せる」、「話を理解できる」、「(いろいろ)考えることができる」、「走ったり、(いろいろ)体を動かすことができる」→だから「赤ちゃんは、“まだ”スポーツはできない」という返答でした。
私はこのように、時間がある限り子どもたちにいろいろな問いかけを行います。
「スポーツ教室で、そのような問いかけは必要ですか?」
皆さん最初は、そのように感じられるかも知れません。
しかし、それには(問いかけをするのには)深い訳があります。
例えば、今回のことを伝える、考えさせることで子どもたちは自覚を持ち始めます。
『自分は、もう赤ちゃんではないんだ』
“それ”に気づくことで、大きく行動が変わります。
スポーツ教室は、活動を通して技の習得に努めるものです。
技術の上達、向上には、まず『自身の人間力』は欠かせません。
“話がきけない”、“すぐに諦める”、“集中力がない”・・・
(実際に活動をする)子ども自身がその状態のままでは、大人が期待するほどの変化は出ません。
「子どもだからね・・・」
という言葉が聞こえてきそうですが・・・
「『子どもだから』大切なのではないか」と、私はそう信じています。
基本を知らない、がまんができない、上達のプロセスを知らない、“子どもだからこそ”、その大切さを教えてあげないといけないと、思っています。
赤ちゃんは、本当にかわいいです。
そして、人間は『ワケあって』この世に生を受けました。
だから、その尊い命、人生に心を込めて語りかけ、育てていきたいと、私は考えています!