不或
先回ですが、
「四十にして惑わず」…という論語の言葉をご紹介しました。
不惑とは、40歳になれば、人生の方向が定まって迷わなくなるという意味で、私自身、理解していました。
しかし・・・
少し“違う”そうです。
実は・・・
「不惑は、不惑でなく、『不或』」だったということです!(@_@)
「惑」という字は、孔子の時代には存在しなかったそうで、そのため音と形が似た「或」だったのではないかということです。
不或?
“或”とは??
或は、域の原字だそうです。
つまり不或とは、“区切らず”の意で、
(そのまま直訳すると)「しじゅうにしてくぎらず」となるということになります。
四十にして区切らず???
ますます分かりにくくなってきました。。。(◎_◎;)
人間誰しも四十にもなれば、ある程度の成果を出し、自分に自信ができ、迷いがなくなります。
ただ、そこにしがみつくことなく・・・
『更なる(新しい)「領域」にチャレンジしていかなければいけない』という(孔子の)“諭し”ということです。
40歳になれば、それなりの人生経験ができている。
だから、迷わなくもなる。
一方で、自分の固定観念ができあがったため、それに固執したり、満足したりしてしまってはいけない。
さらなる成長を目指して、新たな発見に努めるべきだ、ということです。
考えれば考えるほど、とても深いですね。
昨日も今日も、高校生年代のサッカーを観てきました。
実は、先週も観ました。
先週は、東海リーグ(*プリンスリーグ東海)。
昨日は、愛知県1部リーグ。
本日は、プレミアリーグWEST(*全国リーグ西地区)。
リーグは違えど、高校生年代の(県内外の)強豪と呼ばれるチームの試合を観戦しました。
昨年度も、本当にたくさんの試合を観ました。
国内、近隣のサッカーの状況は、分かってきました。
小学生のサッカー、中学生のサッカー、高校生のサッカー・・・育成年代のサッカーは、大よそ分かってきました。
しかし、自身は指導者。
これで満足してはいけません。
『指導者は学ぶことをやめたら、教えることをやめなければならない ~ロジェ・ルメール~』
元フランス代表監督の、あまりにも有名な言葉です。
今シーズンのJリーグ、高校サッカーリーグも開幕しています。
アレグランは、子どもたちが16歳になる時(*高校入学)の姿をまず最初の目標に、育成活動に取り組んでいます。
そしてその後、18歳(大人の入り口)に差し掛かった時に、プレーヤーとしても、さらには人間としても、多方面から喜んでいただけるような人物を育てていきたいと、強く想っています。
未来に向けた壮大、且つ時間を要する活動に取り組んでいます。
そのためには、私は常に不或であるべきです。
指導者が自分で自分に域(或)を設けず、成長していかなくてはいけないと考えています。