アスリートの不祥事
ここ数日報道されています国内トップアスリート(プロや五輪候補)の一連の不祥事には、本当に頭が痛くなります。
数々の報道の中、識者のいろいろな見解が異なることが分かりました。
本日は、プロ野球の件から考えてみたいと思います。
プロ野球界の賭博問題が、最近のスポーツ界の“負の”大きなニュースになりました。
問題がさらに大きく、具体的な事実も明らかになってきたことで、選手が先日逮捕されることにもなりました。
“球団旗の前”で、該当選手による涙の謝罪会見がありましたが、アメリカでは考え方、捉え方が全く異なるようです。
球団と選手の関係は、あくまで業務委託契約。
契約社会のルールに則ると、球団は被害者になる訳です。
(契約ルールに反したということで)“即刻、契約解除”が妥当であるとのこと。
しかし、この問題で日本で問われるのは、問題を起こした選手と同じくらい、『球団や日本野球機構の管理責任』。
実際にこの事件が発覚した後は、球団の選手の処分(失格処分)と共に、最高顧問、オーナー、会長といった、球団トップの辞任劇がありました。
アメリカ的な見方では、本末転倒に感じるようです。
「選手は委託の個人事業主であって、『従業員ではない』」
このスタンスが当たり前のようです。
「球団は(そこまで)管理する権利はないはずだ」・・・
正に『契約社会』です。
アメリカでも、MLB(野球)、NBL(バスケットボール)の選手研修のような啓発活動は、あるそうですが、それはあくまで選手会が実施し、“機構はスポンサーとして手助けする”かたちだそうです。
「良いことなので、(選手会で)どんどんやってください」
「しかし、機構はやりません」
「もちろん球団も」
「それは、我々の仕事ではない」
・・・という考え方だそうです。
文化や考え方の違い・・・を痛感しました。
日本人がアメリカをはじめ、諸外国の全て真似をすることはないと思います。
日本には日本の、アメリカにはアメリカの考え方や生き方があって良いと思います。
しかし、それを差し引いても、やはり日本は、「アスリート自身が自立していないのかな?」と改めて考えさせられました。
自分(アスリート自身)は一人の個人事業主で、一般的には社長と同じ立場なのです。
社長は誰が守ってくれるでしょうか・・・。
基本、アスリートは自分の身は、自分で守らなければなりません。
球団(会社)が守ってくれたり、一緒に頭を下げてくれると考えていたら、いつまでもたっても、責任感は育たず、今回のような事件は、繰り返していくのかも知れません。
アスリートの立場から、ファンやサポーターといった、「自身を支えてくれる人たちに恥ずかしいことはできない」という『責任』。
そして、
一人の人間として、“人生を丁寧に生きる”という『自覚』。
このような正しい考えが、個々に欠落していた(麻痺していた)ことが、このたびの事件で露呈したような気がします。