23年前
昨日は、5月22日でした。
全国規模では、J2リーグ、なでしこリーグが開催されました。
私が住む愛知県では、高校総合体育大会サッカーの県大会各ブロック勝者が決定する試合がありました。(これからベスト4のチームで総当たりリーグの結果、2チームがインターハイ出場となります)
その他、東海社会人リーグ、県社会人リーグも行われました。
そして、私たちアレグランスタッフは、東海女子リーグを観戦しました。
さて、今から23年前の5月22日。
愛知県では、あの試合がありました・・・。
1993 Jリーグ サントリーシリーズ 第3節の名古屋グランパスvs.横浜マリノス。
1-1のまま延長戦でも決着がつかずPK戦に突入。
(◎なんと当時のJリーグは、リーグにも関わらず試合の決着をつけるために、
“PK戦”も行っていました)
そのPKですが、雨でピッチが水浸しとなる中で、
横浜の最後のキッカーのシュートは、無常にも水たまりでストップしてしまいます。
逆方向に飛んでいた名古屋のGKは、ライン際でボールを掻き出すことができ、
キックは失敗してしまいます。
正にピッチは田んぼ状態・・・。
雨中でも試合が行われるサッカーという競技に対して、
プロリーグのハード(競技場)面が追いついていないという一面が露呈しました。
雨といえば他には、この翌年の1994年9月17 日。
1994 Jリーグ NICOSシリーズ 第11節 名古屋グランパスvs.ジェフ市原で、
ドラガン・ストイコビッチ選手(*当時現役)が魅せた
“リフティング・ドリブル”は、あまりにも有名です。
この日はピッチに水たまりができるほど強い雨が降り続き、
両チームの選手たちは、ボールをうまくコントロールできず悪戦苦闘。
するとストイコビッチ選手は、ボールを転がさず、“数十mほどリフティング”で
運びながら前線へ。
「地面に落とすとなかなか前へ進めないので、リフティングで運ぼうと思った」
とのことでしたが・・・。
卓越したテクニックとひらめきの融合によって飛び出した、
スーパープレーであることは間違いないのですが、
これも当時のスタジアムの(ピッチ状況を)表したものではないでしょうか。
ちなみにこの試合は、現在J2FC岐阜のホームスタジアムの
ホームスタジアムではない競技場で試合を実施すること。
Jリーグがスタートした当初は、ありました・・・。
「神戸総合運動公園ユニバー記念競技場」で観た記憶があります。
データを調べてみますと、
この試合は、1994 Jリーグ NICOSシリーズ第7節で、
“静岡ダービー”の試合が、神戸市で開催され、観客なんと『37,306人』!
今(2016)シーズンのJ1リーグ開幕戦(第1節)で最も観客が集まった試合、
2016 J1 ファーストステージ 第1節 ガンバ大阪vs.鹿島アントラーズ
@市立吹田サッカースタジアムでさえ、32,463人ですから・・・
当時のサッカーやJリーグを取り巻く状況と、現在との違いは明白です。
23年前に1リーグ、10クラブで始まったJリーグ。
現在は、3つのリーグ、53クラブに成長。
では、それ以外の日本のサッカーの現実は、
23年間でどのくらい変わっているでしょうか?
これからの日本の未来を担う、育成年代の環境、
そしてプレーヤーや指導者の“意識”は、
大きく変わったでしょうか?
登録チーム数、トレセンやライセンス制度・・・。
また施設等のハード面。
これらはとても大切でありますし、充実してきたと感じる時があります。
ただこれだけでは、未来を変えることはできません。
大切な部分は、
「人が成長する」という部分ではないでしょうか。