スポーツができることに感謝して・・・
昨日は、終戦から71年目を迎えた終戦記念の日でした。
日本政府は、1963年(昭和38年)5月14日の閣議決定
「戦没者追悼式の実施に関する件」において、
戦没者について、その数を約310万人としています。
“サッカー”という名のタイトルがつくブログにも関わらず、
8月で第二次世界大戦関連の記事が3回目になります。
日々サッカー、スポーツに熱心に取り組んでいるからこそ、
『気にしないといけないこと』があると思うからです。
それは、コーチ、アスリートとして以前に、
私たちは人間であるということ。
そして、
日本人であるということ。
この2つは、間違いのない事実です。
先の週末(8/13,8/14)もサッカーの試合を観てきました。
暑いさなかです。
汗が大量に出るため、水分の摂取も多くなります。
なぜでしょうか?
当たり前ですが・・・サッカープレーヤーも“人間”だからです。
71年前も同じように暑い夏でした。
酷暑の中、水も飲めずに亡くなられた方・・・
食べる物もなく、ただただ体が衰弱し、終戦を迎えられた方・・・
このような歴史(過去)の上に、私たちの今の生活があります。
当たり前になって、忘れ去られようとしている事実を、
「忘れないように」
噛みしめなくてはいけません。
天皇皇后両陛下は
「日本人として忘れてはならない4つの日」
として、次の4つの日を心に刻まれていらっしゃるそうです。
8月6日の「広島原爆の日」
8月9日の「長崎原爆の日」
8月15日の「終戦記念日」
そして、
6月23日の「沖縄戦終結の日」
です。
両陛下は、これら4つの日を“特別な日”に、
戦没者の慰霊のために、終日静かに過ごされるそうです。
わが家も、子どもたちが夏休みでしたので、
お昼に放送されていました全国戦没者追悼式を静かに見守りました。
小さい子どもに戦争や平和のありがたさなど、
いきなりは解らないと思いますが、
年に何回かのこの機会に、少しずつですが理解を深めていこうと思っております。
戦時中は、野球自体が、アメリカの事実上の国技であることから、
その関連用語には、徹底した英語排除が行われたとのことです。
英語は、敵性語(てきせいご)として捉えられ、
敵対国や交戦国で一般に使用されている言語は、当時は徹底的に排除されました。
1940年(昭和15年)には、プロ野球の球団名の日本語名への改称と、
ユニホーム表記の漢字表記への変更も行なわれたそうです。
また、審判の言葉(コール)も、強制的に変えられました。
「ストライク」は「よし1本」。
「ストライク ツー」は、「よし2本」
「ストライク スリー、アウト」は、「よし3本、それまで」・・・。
(▲明らかに違和感があります)
そしてさらに後、野球自体の排斥運動も起こり、
プロ野球は、1944年(昭和19年)秋から1945年(昭和20年)まで中止。
現在の甲子園大会の前身の、全国高校野球大会も同様でした。
選抜中等学校野球大会は、1942年から1946年まで、
全国中等学校優勝野球大会も、1941年から1945年まで
それぞれ主催者である毎日新聞社、朝日新聞社の意向により中止されました。
スポーツを観ることができない、楽しむこともできない時代が
この私たちが住む日本には、現実にあったわけです。
終戦の日、スポーツができることに感謝し、
いつもの公園で家族でボールを蹴りました。
しかし、それを終えて帰ってきますと、
玄関には土で汚れたシューズを、脱ぎっぱなしのわが子・・・。
まず、親が見本をみせて
それから実際に、汚れを拭かせました。
幼い子でも、充分できます。
最初は解らなくとも、繰り返し行っていけば、
それが(良い)習慣になります。
まだスパイクを履く年齢ではありませんので、
もっぱらゴム底のトレーニングシューズです。
しかし、毎日使うものですから、2足あります。
さらに、室内用(体育館シューズ)も1足あります。
メーカーが頻繁にモデルチェンジするために、
その分特価品(旧モデル)が店頭に並びますので、
近年は、比較的安価で用品を揃えることはできます。
一方、繰り返しますが・・・
子どもたちは、用品はおろか、
スポーツ自体を満足にさせてもらえなかった
そんな時代がありました。
どの時代も子どもたちの生活環境は、良くなくてはいけません。
しかし、
スポーツができること・・・
これが『当たり前』になり過ぎてはいけません。
生きていること、
好きなことができることに、
しなくてはなりません。
スポーツを通して子どもたちに伝えることは
本当にたくさんあります。