実況者の責任は?
スタジアムに行かない(行けない)方のサッカー観戦の方法は、
自ずとテレビが主になります。
そのテレビで、スタジアムの状況を伝えるのが、実況のアナウンサーの方です。
日頃、テレビのサッカー中継の中で、再三気になっていますのが、
実況が現場でのこととは関係ないことを話すことです。
例えば、
「(該当する)チームの何年前に何があった」とか、
「プレーヤーの経歴や生い立ち」とか、
・・・実は、観ている側が一番知りたいのは、
『動きの激しいスポーツであるサッカーのプレーヤーの動き』です。
具体的には、テレビ画面上では、
どうしてもプレーヤーの背番号が小さく、観えにくい時が多々あります。
その時、頼りになるのは、現場で観ている実況の方の声です。
それが・・・
解説者の方との雑談(←半ば居酒屋トーク)のようになったり、
特に代表戦になりますと、“応援団”のようになったり、
スタジアムで観戦ができない視聴者の(サッカーを心から観たいという)希望に
合致しない言葉が、テレビから聞こえてくることがあります。
そのような時は、本当に悔しい気持ちになるのですが・・・
もっと残念な実況の言葉が、
つい先日のアジア最終予選の日本対タイの試合でありました。
(*地上波の民放局の中継でした)
そのひとつが、前半27分過ぎのシーンです。
日本代表の森重選手が、「ボールのこと」が原因で、警告を受けた時のことです。
試合を観られた方は、記憶に強く残った場面かと思います。
前半27分、
森重選手がこの試合のレフェリー、モフセン・トーキー主審に対して、
ジェスチャーでボールの空気圧をチェックするように要求。
トーキー主審は、一旦試合を止めて、空気圧をチェック。
しかし、問題ないと判断した同主審は、森重選手にイエローカードを提示し、
ボールを交換することなく試合を再開。
主審としては、一連の流れを“遅延行為”であると判断したものとみられます。
森重選手は、納得していない姿勢をみせますが、
トーキー主審は、取り合うことはありませんでした。
このことに対して、多くの迷信がインターネット上でも飛び交っています。
「主審へのアピールが許されるのは主将のみ」
という、全く見当違いな見解です。
競技規則に付属しています「競技規則の解釈と審判員のためのガイドライン」には、
次のように規定されています。(*第12条 ファウルと不正行為)
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【言葉や行動で異議を示す】
(言葉であろうとなかろうと)主審の判定に対して抗議する競技者は
異議を示したことで警告されなければならない。
チームの“主将”は、競技規則下において、
なんら特別な地位や特権を与えられているものではないが、
そのチームの行動についてある程度の責任を有している。
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これは、試合中の異議や抗議のことについての規定で、
『競技者は、キャプテン(主将)であろうとそれは認められない』としています。
キャプテンだけは、質問できるとか抗議できるとの声をよく耳にしますが、
それは全くの誤りです。
地上波の中継を担当していました局の実況は、(先の森重選手の警告の後のシーンで)
以下のように話していました。
『基本的に主審の抗議ではありませんが、
きちんと会話をしていいと定められているのは、チームのキャプテンです』
繰り返しになりますが、競技規則にはそのようなことは載ってはおりません。
そして、後半8分30秒過ぎに2つ目のシーンがありました。
タイのゴール前での混戦の中から、浅野選手がシュートを放った場面です。
そのボールは、(画面を観る限りでは)タイ13番のディフェンダーの
ナルバディン・ウィーラワットノドム選手がブロックし、GKがキャッチします。
シュートした浅野選手も、“ハンド”をアピールするような様子が見られましたが、
プレーは続行します。
中継では3度ほどリプレーが流れ、
この中継の解説者も「ハンド」であると断言します。
そして、その時の実況の言葉は、以下の通りです。
「そして、これが、浅野が・・・あの10番のティーラシンの右手に
当たったんじゃないかと・・・(一呼吸おき)
・・・トーキー主審も『意図的ではない』という判断かも知れませんし、
もしかしたらその視界、視野に入ってこなかった可能性もありますし
・・・ただ言えるのは、そうしたものも抜きにして、
勝たなければいけいというこの思いです」
まず、リプレーを観ましても、
⑩ティーラシン選手の右手には当たってはいるようには感じません。
その後ろで、(実際にシュートを止めることになる)
⑬ナルバディン選手の左脇腹辺りにボールが当たり、
その跳ね返りのボールが、自らの左腕に当たったようにも感じます。
プレーヤーの読み間違えは、動きが速いため仕方がないとしても・・・
『主審が意図的ではないと判断』
という言葉が、とても引っかかりました。
競技規則の第12条:ファウルと不正行為では、
「ボールを意図的に手または腕で扱う
(ゴールキーパーが自分のペナルティーエリア内にあるボールを扱う場合を除く)」
とハンドの反則になると、確かに規定しています。
そこで、「簡単に」“意図的”という言葉を用いられたのですが、
では、この“意図的”の本当の意味を、実況の方は理解していたのでしょうか?
競技者は、相手のシュートの際、自分の頭の中で“論理的”に考えた上で、
「手でボールを止めようとしたわけではない」場合もあります。
しかし、このような形あっても、ハンドの反則になることが多いのが事実です。
つまり、頭で意識していなくても、体が反応して腕が動き、
ボールを扱ってしまえば、ハンドの反則となるのです。
ですから、ゴール前では、自分の腕を体の後ろに回すなどして、
ハンドの反則にならないように対応することが、必然的に求められます。
では、具体的に「ハンドの反則になるかどうか」を判断する際に、
重要になるといわれているのは、どのようなものでしょうか?
それは、大きくは2つ。
「ボールとの(守備側競技者の)距離」
と
「ボールのスピード」
です。
全く守備者が予測できないような距離や、準備ができないようなスピードで、
ボールが飛んできたとすれば、腕を後ろに回してハンドを避けるのは困難です。
一方、ボールがパス、シュートされたあとに手を動かそうとしなくても、
出しておいた手や腕にボールが当たれば、
結果的に、ボールを扱ったのと同じ効果を得られるという意図があります。
いわゆる“未必の故意”というものです。
シュートが飛んできそうなシーンで、「手や腕が出ている」ということは、
『手や腕を使うことになる可能性がある』ということになるのです。
一般的に、誤解が起こりやすいサッカーの競技規則の部分ではありますが・・・
一方で放送する側には、“大きな責任”が係っていることは間違いありません。
「サッカーを『正しく伝える責任』がある」と思います。
中継をする側も事前に、
「サッカーとはどのような競技なのか?」
ということを(*自分のイメージではなく)正しく理解して臨まなければ、
誤った情報が、電波を通して一気に流れてしまうことにもなります。
今、始まったばかりのW杯アジア最終予選ですが、
ご存知の通り、日本代表チームは苦しい試合を続けています。
それは何が原因でしょうか。
監督や選手、“チーム”でしょうか?
“レフェリー”でしょうか?
多くの人は、この2点を声高に言いますが・・・
私の考えは、少し違います。
この国の人間が、
「サッカーをどれくらい愛しているか」
「サッカーにどれくらい関心を寄せているか」
そして、
「日本サッカーを育てようとしているのか」
その度合いと、その人数だと思います。
上手くいかないことを、あれやこれやと、やり玉に挙げて非難するのは簡単です。
でもそれでは、全く成長はありません。
また、W杯やその最終予選だから、勝てばそれだけで盛り上がり、
普段の(身近な)サッカーはそっちのけ・・・では、
いつまでたっても、この現状は変わらないと思います。
なぜなら、日本のサッカーが育たないからです。
このたびのサッカー中継を観ていましても、
「日本に良質なサッカー文化を根付かせようとする気概」は、
残念ながらあまり感じなかったのが事実です。
メディアが誤った情報を流していては、
それを観て聞いた、子どもたちを始めサッカー歴が浅い方は、
大きな誤解を受けるものです。
“サッカーを中継する側”も
もちろん
“サッカーを観る側”も
お互いに成長していかなければ、
日本サッカーのさらなる成長を望むのは、難しいことだと思います。