『辞めるか続けるか』⑤ ~サッカーを続けられる環境を 作ってあげること~
5回に亘るブログタイトル、
“辞めるか続けるか”
の最終回になります。
ある高校サッカー強豪校の監督さんの言葉(見解)から
始まった考察ですが、
その言葉をもう一度を振り返ってみます。
スパルタの方針を打ち立て、
親もわが子を鍛えてほしいと願って、
(子どもが)そのクラブに入れるケースもあると思います。
それはそれでいいでしょう。
ただ、それを望んでいない子が、
そのクラブに入ってしまうと
保護者も選手(子ども)も苦しんでしまいますよね。
それでいて、
日本には「辞めたらいけない」という文化があります。
各チームのコンセプトを見比べながら選べる環境が必要ですし、
合わなかったら辞めて、
他のチームを探せばいいんです。
サッカーを続けられる環境を作ってあげることが、
クラブ運営者や指導者には必要なことだと思っています。
・・・といったものでした。
その中で、気になった文言をピックアップしました。
それは、次の5点でした。
➀スパルタの方針(⇒わが子を鍛えてほしいと願って、クラブに入れる)
➁それを望んでいない子が、そのクラブに入ってしまう
③日本には「辞めたらいけない」という文化があります
④合わなかったら辞めて他のチームを探せばいい
⑤サッカーを続けられる環境を作ってあげること
今回は
⑤サッカーを続けられる環境を作ってあげること…
です。
まだご覧になられていない方は、
1回目からの内容をご確認いただいてから
このたびのブログをお読みただくことをお勧めいたします。
(👇1回目から4回目までは、以下をご参照ください)
では、最終回の第5回、
このたびも、
敢えて一旦、サッカーやスポーツから話題を外します。
(社会で)
仕事ができる人
と
仕事ができない人
のパターンを解説する内容の記事を
時々見かけることがあります。
仕事ができない・・・。
これは本人はもちろんですが、
周囲(社会)にとっても
“困る事態”を引き起こします。
では、
「仕事ができない」
といわれる人のパターンを
考えてみましょう。
●言われたことしかしない
●時間にルーズである
●物事を最後まで貫徹できない
●仕事の成果を上げるための工夫や努力をしていない
●自分からは喋らない
●ルーティンワークしかしない
●失敗やミスは、他人のせいにする
●急な事(依頼)には対応ができない
●己の関心事だけに拘り過ぎる
●責任転嫁をして、反省ができない
●終始、“受身の姿勢”で仕事をこなしている
●全体的に(やる気がなく)活力がない
●監視の目がないと、すぐに怠けてしまう
●噂や陰口が好きで、人や物事を見た目で判断する
●残業は、“真面目でやる気があるアピール”に繋がると勘違いしている
・・・
これまでの人生の中での経験、
他の方から耳にした話、
それらを総合して
思いついたものを挙げてみましたが、
これら(一例)ですが、
総じて、
『人間力』の問題
が根源にあるように感じます。
整理し、並べてみますと、
仕事が上手くできないことを
例えば
環境
人間
労働条件
など
『他の事のせい』
にしていることが
特徴として挙げられるかと思います。
インターネットの相談サイトで、
ある社会人の方が、
ご自身の過去も踏まえながら、
問題提起のようなかたちで質問された文章を目にしました。
その内容は、以下の通りです。
〚要旨〛
「環境のせいにするな」
「周りのせいにするな」
という様な言葉を耳にしますが、
本当に全てそうなのでしょうか?
「以前いた上司・同僚が異動になり、職場環境が変わったら、
全てが順調に行くようになった」
このような事を言っているOLの方やサラリーマンがいるのを
皆さんもご存知でしょう。
「いじめられていた学校から他の学校に転校して以来、学校が楽しくなった」
という学生もいる事実を皆さんご存知でしょう。
両者とも、前にいた環境よりも今いる環境の方が
自分にとって幸せだと言っています。
つまり両者とも、以前自分が苦痛を感じていたのは、
『環境』のせいだったということです。
皆さんは、このような方に出会ったら、それでも
「今幸せになったんじゃない。
以前の環境にいる時、お前は努力を怠り環境を変えようとしなかったから、
幸せを感じることが出来なかっただけで、本来なら以前も幸せになれたはずだ」
と言うでしょうか?
他に知り合いでとても野球が上手く、高校に特別推薦で入った人がいました。
しかし、そこで彼は先輩イジメを受けました。
結果、部活を辞め、最終的にはその高校も辞めました。
その人は、上手くなるために小さい時から努力していたと思うのですが、
その努力を、愚かな人間達によって潰されてしまいました。
(その人は他の夜間の高校に入り直し、また野球をやっていました)
この様な人を見た時、それでも「環境のせいにするな」というでしょうか?
私自身も中学の頃、初心者で、ある球技のスポーツを始めました。
しかしそこで陰湿ないじめをされたことがあります。
もちろん初めてなのでミスを沢山します。
ですが
「もう下手くそはシュート打つな」、
ディフェンスをしようとしたら
「寄るな」、
挙句の果てには、裏で私にはパスを回さない様にしていた等の事をされ、
とてもではないですが、
部活中に実力を伸ばすというようなことはできませんでした。
スポーツでも語学でも楽器でもそうですが、やらなければ上手くなりません。
いくら上手い人のプレーを見ても、
ネイティブの方の英語やプロのギタリストの演奏を聞いても
自分がやらなければ、上手くなりません。
しかし当時は殆どやること、挑戦すること自体ができませんでした。
(今は社会人で楽しくそのスポーツをしています)
私は、そんな当時のその環境を「悪い」と言っては駄目なのでしょうか?
・・・
ここに途中で書かれているような、
部活動でみられるいじめは、
近年、暗いニュースとして頻繁に耳にします。
情けない話ですが、
現在だけでなく、
過去にもこのような(先輩いじめの)構図は、
どこかここかにあります。
理不尽なしごきや体罰も同様です。
これを変えない限り、
わが国のスポーツの地位は一向に上がらないと強く感じています。
スポーツは
科学であり、
教育であり、
“人間が成長する場”
であるはずです。
この真実が、捻じ曲げられてしまった結果、
体育関連の人間は
頭も筋肉でできている
力任せの乱暴者
挙句の果てには、
体育よりも、学力テストの成績が良ければいい・・・
といった、“勘違いな風潮”を残念ながら生んでしまっています。
いじめは、
愛情不足の人間が
躾を施されていない人間
・・・
総じて
『“人としての器”の小さい人間が、
引き起こす問題行動』
と、私はそのように認識しています。
いじめをする側の肩を持つつもりは、全くありません。
ただ、
他者をいじめる人格をつくってしまった、
その本人を取り巻く大人(親、教師など)は、どうだったのでしょうか?
事件になりますと、いじめた加害者が過大にとりざたされますが、
この加害者となった子どもの周辺に、何か大きな課題が潜んでいるはずです。
しかし、
ここでいじめ問題まで広げてしまいますと
大きく話が逸れてしまいますので、
とても気になることではありますが、
ブログタイトルの核心部分に進みます。
先ほどの文面にある
「パス(ボール)をもらえない」
という部分です。
この方(*質問者)自身の大きな問題が、ここに見えているような気がします。
誰もが認めるサッカー強豪国のブラジルにおいて、
サッカーの経験をされた方の“身を持った感想(体験談)”は、
一様に同じようなことを述べられます。
➀紅白戦でトラップミスをしたり、
簡単にボールを奪われたりすると次からボールをもらえない。
声を出して呼ぼうが、良いポジションにいようが関係ない。
技術がないと判断されれば、ボールは回ってこない。
➁最初日本人という理由でパスは回ってきませんでした。
理由は、単純。
“日本人=技術がない”から。
そのイメージが普通にあります。
だから最初は、自分でボールを奪いに行くか、
数少ないチャンスで「自分がプレーできる」ということを
表現するしかありませんでした。
③紅白戦では5分、10分しか出してもらえず、
さらにそこで、
『ボールを取られたら二度とパスをもらえない』
という厳しい現実が待っていました。
(ブラジルでは)誰もサッカーを教えてくれません。
“できるか”、“できないか” で
「できなけなければクビになる」だけです。
では、なぜそれほど厳しいのでしょうか?
それは、文化の違いやものの考え方の違いがありますが、
一番は、
『本物のサッカー観』
そして
『サッカーに対する真の誇り(プライド)』
が
そこにあるからではないでしょうか。
ブラジルは、
FIFAワールドカップでは最多の優勝回数(5回)、
UEFAチャンピオンズリーグ常連の欧州強豪クラブチームに
多くの代表選手が所属する背景からも、
正に“サッカー大国”であり、
そこから生まれる国民の代表チームに対する想いも、
非常に強いものがあります。
サポーターやマスコミの目線も
「人口の数だけ監督がいる」
と表現されるほど、厳しく高いレベルに達しています。
そこでは、
「環境云々」
といった“ぬるい考え”は、全く存在しないのです。
強豪国であるが故の
『サッカー観』
『意識』
そして
『要求』
があります。
どのような試合においても、
試合の中でボールを奪われ続けたら、
当然、周りからの信頼は失われる。
しかし・・・
これは、
ブラジルだからある特別な
厳しさ
や
掟(おきて)
なのでしょうか?
本来、
どこにいっても、
サッカーでなくとも、
何事においても、
自分自身がしっかりと
目の前で取り組むべきその意味を理解し、
『責任と覚悟を持ってチャレンジする』
からこそ、
“真の力”を身につけることがでる
のではないでしょうか。
この構図が普通に理解できない(厳しいなと感じられた)方は、
きっと身近なところで、
「環境が~」
と言って、
安易に問題をすり替えてしまいがちな人
だと想像できます。
それかもしくは、
日頃から、
「厳しい環境は苦手だから~」
と、
物事のレベルを落として、
極力、安住の方向に進んでいる人
だと思います。
私が指導の道に入ったのが、
今から20数年前です。
ちょうど、Jリーグが始まって、
Jリーグバブルが、まだ残っている時期でした。
社会(子どもたちの教育環境)では、
改定された学習指導要領が施行。
(▷施行時期…小学校は1992年度、中学校は1993年度、高等学校は1994年度から)
正に自身が現場に入った年に、
学校の土曜日が隔週休み(*第2、第4土曜)となりました。
新学力観が登場し、“個性を活かす教育”ということが、
全面的に押し出されました。
ただ、『変化への対応力の育成』を目指したこの新学力観ですが・・・
実際は、「変化に対応できない子どもが多くなっている」のは、
どういうことなのでしょうか?
また、心豊かな人間の育成を実現するべく、生活科の新設、道徳教育の充実・・・。
子どもたちは、本当に心豊かに育ったでしょうか?
この問題については、また今後書きたいと思います。
それにより、
個性尊重の名のもとに、
“無責任な個の主張”も横行するようになってきました。
本来、何かを為すにあたっては、
その自らの選択や行動に対して、
責任がつきまとうものです。
「環境が合わなかった・・・」
では、
その環境を選んだのは誰 でしょうか?
ゲーム中に、ボールが来ない理由は何でしょうか?
それは、周囲の環境のせいばかりでしょうか?
私が指導者になって、
まず言われたこと・・・
それは、
とにもかくにも
『子どもがやりやすいようにしてあげること』
でした。
これは、私の現場だけ(そのようなルール)だったのでしょうか?
スポーツクラブだけに限らず、
学校も家庭も
きっと、日本全体の子どもに関わる「大人が留意すべき点」として、
言われ続けたことだと思います。
“子どもが◯◯を嫌いにならないように”
確かに、大人が工夫や努力、我慢をすることは大切なことです。
しかし一方、その結果として、
子どもは骨太に育っていったでしょうか?
環境が整っていないとできない子、
増えていませんか?
すぐに諦める子、
増えていませんか?
日本がブラジルと戦って勝てない理由・・・
それは、
技術?
戦術?
体力?
判断力?
それとも
選手層?
監督の指導力?
選手選考?
・・・
サッカーの歴史や成熟度、経験値から考えても、
どれも劣っているかとは思います。
ただそれ以前に、
“日本が抱えている問題”は、
「すぐに環境云々を口にしてしまう」・・・
そのような子どもを生み出している、
大人が作った社会ではないでしょうか 。
最後に
昨年のリオデジャネイロ・オリンピックでは、
“ROT”という難民選手団のグループ(チーム)がありました。
ROTの競技者の方々は、
“環境を理由に諦めた”でしょうか?
アレグランホームページ内
情報紹介ページ(*ホームページ内ブログ)にて、
難民選手団のアスリートを取り上げました。
ぜひ、ご参照ください。
(👇こちらです)
リオ五輪 ~アスリート紹介 2~
リオ五輪 ~アスリート紹介 3~