アレグラン渡部のサッカーの素

愛知県東海市のスポーツクラブ "アレグラン東海” の代表の渡部貴朗が、自身のサッカー観を中心に、スポーツ、教育など気になることを素直に書いていきます!

【短編】夏休みに想う・・・ ~歳月人を待たず~

窓の外の空を眺めていますと、

 

(気が早いようですが)少しずつ秋の気配を感じます。

 

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子どもたちの新学期も、あと数日でスタートです。

 

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2017年の夏休みも終わります。

 

 

 

時間、日が経つのは、本当に早いです。

 

 

あっという間です。

 

 

 

今回は、自身の随分昔・・・

 

過ぎ去った夏を振り返りたいと思います。

 

 

 

今でこそ、

 

経験も増え

 

そして、

 

ある程度の力もつけ、

 

広く様々なことを発信できるようにもなりました。

(まだまだ未完成ですが・・・)

 

 

 

しかし、

 

こんな自分も恥ずかしい過去があります。

 

 

今年の初夏、

 

ふとそんな自身の過去のことを思い出す機会に出くわしました。

 

 

二か月前ですが、

 

JFA・キリン レディース/ガールズサッカーフェスティバルが開催され、

 

長野県松本市まで

 

妻と娘たちを引き連れ、出かけました。

 

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当日は、ミニゲームもあり

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ゲームだけでなく、キックターゲットなどもあり

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子どもも大人も・・・

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存分にサッカーを楽しみました。

 

 

 

そして、

 

せっかく松本まで来ましたので、

 

安曇野まで足を伸ばしました。

 

 

 

 

実は、20数年前・・・

 

ここに自分はいました。

 

 

 

今でこそサッカーを大切に考え

 

サッカーがなくては生きてはいけない人間になっていますが・・・

 

 

二十歳を前に、一時サッカーから離れた時期がありました。

 

 

 

大学生時分の夏休みです。

 

 

 

現実から逃避するように、信州に向かいました。

 

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向かった先は、穂高町(現、安曇野市)の、とあるペンション。

 

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住み込みで働かせていただきました。

 

 

 

生活用品を入れた大きなバッグの中には、

 

サッカーボールも入っていました。

 

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※バッグに入っていたモデル、adidas Etrusco Unico(エトルスコ・ユニコ)

 

 

 

一時、愛知を離れても

 

サッカーのことは忘れたくはありませんでした。

 

 

 

ただ、

 

思ったよりペンションの仕事は忙しく、

 

一方で楽しく、充実しており・・・

 

 

 

サッカーのことは

 

・・・・・・

 

次第に頭から遠ざかっていきました。

 

 

 

 

そのような忙しい毎日の、ある日の休憩時間、

 

近くの川に出かけました。

 

 

 

ペンションの子どもたちと川遊びに興じ、

 

自然を満喫していました。

 

 

 

バッグからボールを出し、

 

そのボールを触ることなど・・・

 

ありませんでした。。。

 

 

 

毎日ボールを触らないと、

 

心身に大きな違和感がある現在とは、

 

全く感覚(観念)が違いました。

 

 

 

しかし、

 

その頃も

 

「何が好き?」

 

という周囲の問いに対しては

 

ためらいなく

 

「サッカー!」

 

と答えていました。

 

 

 

ただ、現実は・・・

 

その答えとは似ても似つかぬものであったように感じます。

 

 

 

言動と行動は、

 

全く伴っていませんでした。

 

 

 

 

四半世紀が経過した現在も

 

常念山脈を源流とする穂高川の姿は・・・

 

全く変わっては、いませんでした。

 

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若い自分。

 

 

あの頃の子どもたち。

 

 

・・・・・・・・・

 

 

瞼に鮮明に浮かんできました。

 

 

 

 

しばらく時間を過ごし、

 

川に目を向けますと

 

“あること”に気づかされました。

 

 

 

それは

 

『“石”の形』

 

 

『水の様子』

 

です。

 

 

 

流れが急なところは、

 

絶えず水が循環しているため、

 

冷たく澄んでいます。

 

そして、

 

そこの石は多くが研磨され、

 

丸く滑らかな形状をしています。

 

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一方で、流れがない(水が滞っている)ところは、

 

生温かく、澱み、

 

所々で気泡が立っています。

 

もちろん、

 

石も特徴的なきれいなものは、

 

全く見当たりませんでした。

 

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「同じ川なのに、これほどまで違うものか」

 

ということに驚愕しました。

 

 

 

さらに

 

これも人間の生活する環境と人間の姿(人間力)と同じではないか

 

ということに気づかされました。

 

 

 

厳しい、激しいところは、一見辛いように感じますが、

 

そこでの生活で

 

人間は磨かれ、味わい深いものに変化します。

 

 

 

一方、

 

ゆるい、ぬるいところに身を置き続けることでは、

 

自身の形(人格、考え、振る舞い)にも変化は出ません。

 

 

 

つまり、

 

『成長できる“環境”の違い』

 

なのです。

 

 

・・・

 

そのようなことを、

 

四半世紀前の自分は気づけていたでしょうか?

 

 

 

口では一端で偉そうなことを言いながら、

 

実際は、自分の都合の良いことばかりを選んで、

 

その日その日を、

 

適当に過ごしていました。

 

 

 

人には、それぞれに過去があります。

 

楽しいことや、感動したこともたくさんありますが

 

反対に、恥ずかしい記憶もあります。

 

 

 

 

未熟で

 

傲慢で

 

 

思い出すだけでも顔から火が出そうなことがあります。

 

 

 

この川縁に降り立ちしばらく経った時、

 

正にそのような気持ちになりました。

 

 

 

 

 

これから先も、

 

自身を振り返った時は

 

 

「あの時は、恥ずかしかったな」

 

と振り返るものだと思います。

 

 

 

ただ、

 

「あの時、こうしておけば・・・」

 

と考えても、

 

もう遅いのです。

 

 

 

その時に

 

正しい判断をして、後悔のない選択をするべきなのです。

 

 

 

ただ、

 

若い時にはそのような正しい判断、選択はできないものです。

 

 

 

だから、

 

傍に信頼できる大人がいて、

 

その道を指し示してあげることが大切なのです。

 

 

 

私には全く(そのような大人が)いなかったわけではありませんが・・・

 

 

残念ながら思い出せません・・・。

 

 

 

子どもに真剣に向き合い

 

本気で

 

「叱ってくれる」

 

「励ましてくれる」

 

そんな人は・・・いませんでした。

 

 

といいますか、

 

自身が、周囲の大切な助言にも耳を傾けず、

 

また、

 

気づきのタイミングに、何も気づいていなかったのかも知れません。

 

 

 

とにかく時は流れます。

 

 

 

止まってはくれません。

 

 

川のように。

 

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だから日々を大切にしなくてはいけません。

 

 

「あの日、あの年齢に戻って・・・」

 

 

今もこれからもないのです。

 

 

 

“その時”

 

“その一瞬”

 

つまり

 

『今』を大切にしなければいけません。

 

 

 

今回のサブタイトル・・・

 

「歳月人を待たず」

 

という言葉。

 

 

同じような言葉に、

 

「光陰矢の如し」

 

というものが有名です。

 

 

この「歳月人を待たず」は、漢詩なのですが、

 

元は、少し別の意味があるようです。

 

 

それは、

 

「月日は過ぎ去り瞬時も止まらない。

 

 だから今の内に酒でも飲んで大いに人生を楽しもう」

 

というものだそうです・・・。

 

 

 

今回サブタイトルに使った理由は、

 

もちろん、この意味ではありません。

 

 

 

間もなく、新学期が始まります。

 

 

 

 

子どもたちには将来に向けての

 

また新しい一日が始まります。

 

 

 

私自身は、この得た教訓からも

 

子どもたちの『今』の支えになっていきたいと思います。

 

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