良く生きるために必要な力・・・"楽しむ"
いろいろな意見が飛び交う世の中。
今回取り上げます
"楽しむ"
という考えも様々で、
中でも
「遊び半分」
(低年齢の子どもではおふざけ)
「適当」
が
『誤った楽しさ』
として広まっているケースに出くわし
頭を悩ますことが多くあります。
"楽しむ"
とは・・・
私は、
人生を良く生きるために必要な
"力の一つ"
だと考えています。
それは
子どもたちが、サッカーを始めた時から
丹念に手がけていく
大人の責任ではないでしょうか。
ただこれは、
根性論ではありません!
一方、
「楽しむんだから力を抜いて」
と言われそうですが・・・
いやいや
「本当に楽しむとは遊び半分ではない」
と、
私は断言します。
話は少し脱線します。
今から20年ほど前のことでしょうか。
以前の職場の先輩指導者(*現在は某競技団体で日本を代表する指導者です)から
「お前はなんでサッカー(の指導)やっているんや?」
と尋ねられました。
その時、私はすかさず
「楽しいからです!!」
と答えました。
すると先輩は・・・
〈暫しの沈黙の後〉
「お前は今"毒"を吐いたぞ」
そして続いて
「数年後に後悔するぞ」
と言われました。
私はその時、
先輩の放った言葉の意味がよく解りませんでした。
しかし・・・
チームの監督になり
サッカー部門の責任者になり
その後、独立・・・。
「クラブをどうやって維持していくか?」
それが家族の生計を担っていく立場になると
「サッカーが楽しいからやっている」
ということが、心の中で次第に変わってくる様を感じました。
サッカー= 楽しい
・・・
本当はそうでなければいけないのに・・・。
これが(昔)先輩の言ったことなのか・・・。
現実を思い知らされています。。。
でも・・・
やはり・・・・・・
サッカーは楽しいのです!!
なぜ?
サッカーの楽しさは、至ってシンプルだからです。
☟
◎足でボールを押せば(足をぶつければ)ボールは簡単に動く
◎ルールも手で扱わなければ、ほぼ自由(無謀なプレーは×ですが)
◎攻めるゴールと守るゴールにボールを入れるか入れさせないか
ただそれだけです。
だから、
低年齢の子どもでもすんなり始めることができ、
"それなりに"
初めから楽しむことができます。
しかし・・・
先に
"それなり"
と書きましたように・・・
自らの力でボールを持てる技術、
つまりその感覚(真のボールフィーリング)。
それが手に入らなければ、
サッカーの本当の楽しさに触れることはできません。
そして、
『本当の楽しさにどれだけ早く気づけるか?』
当然、
サッカー人生の中で、
早期にそのことに気付けた人間ほど、
サッカーは上手くなっていけます。
そしてそれに気づけば、
その楽しさのために、
どんな努力や我慢も苦にならなくなります。
サッカー人生がさらに豊かになります。
それ(本当の楽しさに気づけば苦も感じなくなること)は、
他の競技種目であっても、例えば音楽であっても同じかとは思います。
但し、サッカーは
手よりも器用には動かせない足でボールを扱うのですから・・・
「ままならない」
のが言わば当たり前の不自由なスポーツです。
でも、
それが楽しいのです。
この点は、とても不思議です。
強豪国では、
ほとんどの人がそれを身をもって理解し、
サッカーを楽しんでいるように感じます。
逆に日本では、
その本当の楽しさに気づいてサッカーをしている人が
少ないような気がします。
本気?
何となく??
見様見真似???
・・・・・・・・・
「なぜでしょうか?」
指導の現場でその答えの一端が見えてきます。
それは
①物質的に豊かになった
➁ある一定の固定観念が広がった
ことです。
①について・・・
楽しいことはこの世の中に溢れています。
▶スマフォ
▶インターネット
▶テレビ
▶ゲーム
▶マンガ
etc.
・・・
楽しいこと(●自分を楽しませてくれるツール)は
巷に溢れています。
ですから、
「敢えて苦労して」
"楽しむために自分から難しい方向に動く"
その必要はないでしょう。
(楽しそうなものは、身近にたくさん溢れています)
さらに・・・
手をつけてみて、
"飽きたら簡単に変える"
ことができます。
極論ですが・・・
我慢などの必要はありません。
➁について・・・
まず観念とは❓
『あるものについて抱く意識内容』
のことです。
・・・
少し難しい表現でしょうか??
観念とは
何でしょうか❔
物の量や大きさ(重さ、面積)を考えてみましょう。
私たち大人が知っている実際の量・・・
例えば、g、㎤があります。
その量や大きさは"経験的なもの"であって、
その経験の過程では、
「初めから数値があるわけではなく」
漠然とした大きさの感覚、
つまり
『量の観念』
があって(それが概念化され、客観化されて)
数値表現に至ります。
余談にはなりますが・・・
ですから、
算数では、
『まずは「観念の育成」ということが目標なる』
といわれています。
では、その観念・・・
サッカーの経験がない方にはほとんどの場合、
ありません。(☚全くないわけではありませんが)
経験のない方・・・
これらを国民全体から考えますと
こちら(経験のない方)の割合が多くなると思います。
(*壮年期以上の方は、育ちの中でJリーグの恩恵を享受しておりません)
ですから
その中で観念(観念のようなものを含めて)は
❶聞き伝え
❷書籍
❸DVD-Videoディスク
❹オンライン・ビデオ
などを通して、植えつけられていきます。
ちなみに
文字の発明から、昭和の終わり頃までは
❶と❷によって、観念はつくられました。
そして・・・
平成に入ってから現在、
特に"現在"は、
それに優る影響力が登場します。
❸と❹。
動くものから受ける影響です。
これらは
『影響力が強大』
です。
「これが真実だ・・・」
と洗脳もされてしまいます。
楽しむということも
現在、大人も子どもも
偏った(誤った)観念
を
視聴覚を通したメディアによって、
今、日本人は大きくズラされています。
では、再確認します。
サッカーの中にある楽しさとは?
一番は
「簡単にできる点」
・・・
入り口部分は、大きく開いています。
(☛ボールを転がすことやゲームに参加すること自体は、難しくありません)
そして、
「ボールの奪い合い」
と
「ゴールの奪い合い」
さらに
「そこで生まれる(ルールのある)バトル」
が楽しさを引き出します。
世界で人気である原因は
ここにあります。
ただ・・・
その次のことが、
日本には足りない(観念がない)
ことを痛感します。
それは・・・・・・
サッカーを楽しむためには、
ボールを自分のものにする
そして
ボールを持てる(ボールを失くさない)
の2つの技術と感覚が必要不可欠だということ。
試合(ゲーム)の中で
ボールが自分の都合の良いところ
つまり
ボールが足下にあるから
自分の意図した(思い通りの)プレーができる
ということ。
反対に、意図したプレーができなくて
・・・
つまり、
ボールが自分の都合の良いところにない
「不自由な中で楽しさがありますか?」
育成段階で
この正しいことに気づけるかどうかで、
プレーヤーの将来は大きく変化します。
だから、
育成年代を担う私たち指導者はもちろん、
わが子にサッカーをさせている保護者さまも
正しい観念を持つことが大切なのです。
サッカーの真の楽しさとは何ですか?