お金をいただいているから?
「あなたのクラブは営利ですか?」
という言葉をこれまで何度も耳にしたことがあります。
“営利”
“非営利”
また
“ボランティア”
・・・
これに関して(この区別を)
“正確に”説明できる方
いらっしゃいますか?
「営利的な色が強い」
という言葉・・・。
多くが、公共施設を管理されていらっしゃる行政側から返ってくる言葉です。
この話は、とても根が深い問題でもありますし、
私たちのような立場の方々は、
どなたも一度は直面する課題ですので、
また後日、このブログでも書きたいと思います。
提起したいことは、
「営利の定義について、正確に言えますか?」
ということです。
費用(*活動費、参加費等)が発生していると、
『営利』
という言葉が、即座に出てきます。
営利・・・
私はこの言葉が好きではありません。
利潤ばかりを追求しているようで、
抵抗があります。
本題に移ります。
先回のつづきになりますが・・・
「私達は、生徒さんからお金を貰って生活をしていますので
その子を成長させる“義務”があります」
というある指導者の方のふとした言葉・・・
お金をいただいているから
その“義務”があるのでしょうか?
では、義務を責任と考えて、
子どもを成長させる責任は、
お金をいただいていれば、それ(責任)が重くなるのでしょうか?
話を分かり易く置き換えて、
考えてみましょう。
こだわりのラーメン屋さん(ラーメン専門店)があります。
一方、
同じラーメンを販売するケースとして、
大学祭のブースで“ラーメン店”を出店し、
安価でラーメンを提供する場合があります。
一概に言えませんが・・・
〈価格〉
ラーメン専門店 > 学祭のラーメン店
〈味〉
ラーメン専門店 > 学祭のラーメン店
大凡、上のような関係が成り立つのではないでしょうか。
なぜ、ラーメン専門店は、
“美味い”のか?
それは、それを
「仕事にしている人間」
と
「仕事にしていない人間」
の違い・・・
つまり、
『お金をいただいている』
と
『お金をいただいていない』
の違いになるのかとは思います。
但し、このケースは、
(仮に)これがラーメンだからいいのです。
美味くなければ
「もう行かない」
で済みます。
また
(この例の場合)
「学生がつくったのだから仕方ないね・・・」
「安いし・・・」
で、簡単に納得することもできるでしょう。
ただこれが・・・
サッカーの指導であれば・・・
「まあ仕方ないね」
となりますか??
しかしこれも、
『仕方ないね』
となるのが、“日本のスポーツの大きな問題点”です。
ここも重大な問題ですので、別の回に触れたいと思います。
スポーツなんて、
子どもが元気に身体を動かし
そのスポーツを経験できれば
・・・
“それで良い”
という残念な風潮があります。
話は戻ります。
ラーメンは美味くなければ、それはアンラッキーで済ますことができます。
しかし・・・
子どもたち(人間)は、日に日に成長していきます。
その時、その一瞬に、
何かを得て、
感じて、
大人になっています。
与えられるもの
得るもの
の違いにより、
その十数年後に結果になって表れます。
子ども時分の
「指導を受ける環境」
の“違い”は、
後の人生に、大きく影響します。
アンラッキーで、決して済ますことはできません。
だから・・・指導者の側は、
「お金をいただいている」から
「お金をいただいていない」から
その責任に、差は全くありません。
“重要な責務”を担っていることは間違いありません。
(*ただ、前回も言及しましたが、義務で行うものではないと考えます)
有給とそうでない違いが、もしあるとすれば・・・
私たちのような指導を生業としているなら、
その自分の仕事に対して、より強いプロ意識を持ち、
周囲、地域の先頭に立って、
『育成の手本を示す』
働きが求められるかと思います。
ただ実際は・・・
「“我流”が跋扈している」
◆跋扈(ばっこ)…辛辣な表現になりますが、「思うままに振る舞う」、「はびこる」こと。
ように感じてなりません。
つまり、
自分のやりたいサッカーを(子どもに)与える
だけになっています。
しかし、繰り返しますが・・・
お金の有無や額面、
プロかボランティア、
の違いがあろうと、
子どもの成長に大きく関与していることには
“全く変わりはない”のです。
最後に、
かつてUEFA(ヨーロッパサッカー連盟)のテクニカルダイレクターも務められた
アンディ・ロクスブルグ氏の言葉のひとつに、
次のような名言があります。
「指導者は、選手の未来に触れている」