クリスマスに想ったこと
サッカーの素・・・
このブログは、名前の通り、
“サッカーがメイン”のブログですが、
今回のタイトルは、先日終えましたクリスマスです。
サッカー好きの方は、
少したるい(*名古屋弁で「気分が乗らない」)内容かもしれませんが、
育成年代の指導を担う私が、
一人の親として
『子どもに対する“おもいの丈”』
を述べたいと思います。
どうか最後までお付き合いください。
サンタクロース(英: Santa Claus)は、
クリスマスの前の夜に良い子のもとへ、
プレゼントを持って訪れるとされている人物であることは、
多くの方がご承知の通りです。
ただ、世界各国では、このサンタも様々な違いがあるようです。
●イギリスでは、ファザークリスマスといい、
(近年は赤が主流だそうですが)緑色の服を着ている。
●オランダでは、クリスマスが1シーズンに2回あり、
プレゼントがもらえるのは12月6日の「聖ニコラスの日」の前日と、
25日のクリスマスである。
●イタリアでは、クリスマスが1月6日まで続き、5日に魔女が現れ、
良い子にはお菓子を、悪い子に石炭をくれるという伝説がある。
●ドイツでは、
悪い子は「悪い子を罰するクネヒト・ループレヒトという黒サンタ」にさらわれる
という言い伝えがある。
●ロシアではマロースおじさんが孫娘のスニェグーラチカを連れて、
プレゼントを配るという風習がある。
●南半球に位置するオーストラリアでは、夏にサンタクロースが来る。
・・・等々。
そもそもサンタクロースとは・・・?
『サンタクロースがきた』(英語:"A Visit from St. Nicholas")、
別題「クリスマスの前の晩」は、1823年に米国の新聞に無名で発表された
英語の詩です。
世界的に商業化されたクリスマスとサンタクロースのあり方に、
大きな影響を与えた作品で、現在でも米国を中心にクリスマスを迎える時期に
広く朗読されています。
原題は「聖ニコラスの来訪」を意味し、
内容はクリスマスの前の晩に子どもたちの父であると思われる「私」が、
トナカイの引くソリに乗ったサンタクロースが贈り物を持ってきてくれた様子を
目撃するというものです。
では原文を一部ご紹介します。
~ 『サンタクロースがきた』一部省略 ~
生き物は、ネズミさえも動かなくなったころ、
靴下は煙突のそばに下げられていて、
サンタクロースが来るのを待っていた。
子どもたちはベッドに寝静まって、
頭の中で砂糖入り菓子が踊っていて、
ママは布をかぶっていて、私は帽子をかぶり、
長い夜の眠りについた時に。
突然外の庭で大きな音がしたので、
私はベッドから飛び起きて、何だろうと思い、
窓のそばにいって、雨戸を開けた。
降ったばかりの雪の上に月が
昼間のように光を投げていた。
すると目の前に何と
小さなソリと八頭のトナカイが見えて、
御者(ぎょしゃ)が元気なおじいさんだったので、
サンタクロースだとすぐ分かった。
私が驚いていると、屋根の上に
トナカイたちがコトコト動いているのが聞こえた。
頭を引っ込めて、ぐるりと回したら
サンタさんがポンと煙突を下りてきた。
サンさんは頭から足まで、毛皮の服を着て、
それが灰とススにまみれていた。
後ろにはおもちゃを沢山背負って、
包を開く前の行商人のようだった。
目が光っていて、えくぼが幸せそうで、
頬は紅色で、サクランボみたいだった。
小さな口を弓のようにして、
あごには雪のように白いヒゲを生やして、
歯にはパイプをきつくかんで、
煙が花輪のように頭をめぐっていた。
サンタさんの顔は広くて、丸いお腹は
笑う時に震えて、ジェリーが入ったボウルのようだった。
かわいく太っていて、愉快な妖精のようだった。
思わず笑ってしまった私に
目をウィンクして、頭をかしげたので、
何も怖くないとすぐ分かった。
言葉は何も言わなくて、すぐ仕事に取り掛かって、
靴下をいっぱいにして、くるりと身を回して、
そして指を鼻の脇に置いて、
それからうなづいて、煙突を登っていった。
それからソリに飛び乗って、トナカイたちに口笛を吹いて、
枯草が舞うように、飛んでいってしまった。
でも見えなくなる前に、サンタさんが叫ぶのが聞こえた。
「クリスマス、おめでとう!みんな、お休み!」
この作品は、その後も再版を重ね、
後に作者のコロンビア・カレッジの東洋・ギリシア文学教授、
クレメント・クラーク・ムーア氏に返されました。
これは、現在に至るまで一般的にはムーア氏の作品として流布していますが、
真の作者は、ムーア氏の友人のヘンリー・リビングストン・ジュニア氏とする異論も
あります。
本詩は米国内で広く流布し、
現在に至るまで米国を中心にクリスマスの時期に家庭、学校、テレビやラジオ等で
広く朗読されているほか、パロディや翻案作品も少なくありません。
アメリカにおけるクリスマスやサンタクロースのイメージ形成に多大な影響を与え、
これが20世紀後半には歌・映画等を通じて世界中に伝えられ、
現在、商業化されたクリスマスやサンタクロースのイメージとなっています。
○クリスマス・イヴに、サンタクロースが8頭立てのトナカイのソリに乗って
やってくること
○サンタクロースは、小柄で太った白髭の老爺で幸せそうによく笑うこと
○背中におもちゃのたくさん入った包みを背負って家の屋根の煙突から下りてきて、
暖炉のそばに置いた靴下に贈り物を入れてくれること
※ちなみに、詩の中では8頭のトナカイにそれぞれ名前がついているそうですが・・・
これは世界には普及しませんでした。
日本でのクリスマスといえば、クリスマス・イブが最もポピュラーな日です。
クリスマスは、キリスト教ではイエス・キリストが生まれた日とされており、
日本では江戸時代末期から明治時代にクリスマスの風習が入ってきたようです。
その後、プレゼント交換の習わしも重なり、
日本ではクリスマス前日のイブが、持てはやされるようになったそうです。
ただ・・・このクリスマスの日、つまりイエスの誕生日ですが、
12月25日と定められているのには、少々違和感があるのも事実です。
新約聖書ではイエスが生まれた時、
羊飼いが空を横切る流れ星(イエスが生まれたことを指し示す星)を見ます。
この話の中の、中東のベツレヘムの12月はとても寒く、
羊飼いが外で放牧することはあり得ないことでもあるため、
現在の聖書研究家たちも異論を唱えています。
では、なぜ12月25日に定められたのでしょうか?
西洋にキリスト教がもたらされた当時、
現地ではミトラ教(*古代ローマで隆盛した、太陽神ミトラスを主神とする)が
大流行しており、
そのためキリスト教を最初に国境に定めたローマ帝国ではミトラ教の重要な祝典の日、
冬至を祝う風習を取り入れ、イエスの誕生日を12月25日に定め、
コンスタンティヌス帝の時代に、キリスト教が“国教”として認めたというのが
有力な説です。
現在では巨大宗教となったキリスト教ですが、初期のキリスト教は弱小であり、
教会も勢力を拡大するために西洋各地の習俗を取り入れ、
変貌しながらも少しずつキリスト教は、西洋人の間に影響を伸ばしていった
背景があります。
そして現在、クリスマスはイエスの誕生日というだけではなく、
サンタクロースの伝説が混じってプレゼント交換もされるに至り、
一大イベントとして世界中で祝われるようになりました。
サンタクロースは、4世紀の聖ニコラウスが伝説化したようですが、
実際にサンタクロースが世に登場したのは、19世紀に入ってからと、
ごく近年のことです。
そういう背景からでもあるでしょうが、
「サンタクロースは商業主義だ」
と非難される側面もあります。
なぜ、この「日本」で
“西洋が機縁のクリスマス”
に
“子どもにプレゼント”
を
与えなければいけないのか?
しかも、
『親が子どもが寝静まった後に、こっそり枕元にプレゼントを置かなければいけない』
のか?
これを探るために、
クリスマス、サンタクロースのことを、より正確に検証してみました。
行事、伝説、その「意味」の本質を真面目に向き合うのは、
大切なことではあります。
ただ、少し野暮な感じもしなくはありません。
そこでひとつの実話をご紹介します。
今から120年ほど前、
「サンタクロースっているんですか?」
と新聞社に問い合わせた8歳の女の子の話です。
その女の子の名前は、バージニア・オハンロンさん。
ニューヨークのマンハッタンで、
医者のフィリップさんと教師のローラさんの間に生まれました。
8歳の時、学校で「サンタクロースはいる、いない」ということで
友達と口論になりました。
家に帰って父親に尋ねると、
父親は「サン新聞(ザ・サン)に問い合わせてごらん」とすすめたため、
彼女は「サンタクロースっているんでしょうか?」という旨の質問を
ザ・サンに送りました。
その当時記者だったフランシス・P・チャーチさんは、
様々な論争を巻き起こしかねない投書に対して初めは当惑しますが、
9月21日、次のような社説を書きました。
「この世には、愛や思いやりといった、
目には見えないけれども確かに存在するものがある。
それと同じようにサンタクロースも確かに存在する」
今年も、わが家の子どもにもサンタからプレゼントが届きました。
小学3年生の長女には、
3年間使ったボール(4号球)がかなり痛んできたので、ニューボールを。
年長児の次女には、
これも長女同様、3年間使ってきた3号球から、小学生サイズの4号球を。
そして、手紙も添えられて・・・
[長女宛て]
2学きから、学校のじゅんび、家のお手伝いなど・・・
たくさんのことをすすんでできるようになりましたね。
サンタのおじさんは、そのがんばりを、遠くからいつも見ていましたよ!
サッカーも上手になってきたね。
毎日のれんしゅうで少しボールがいたんできたね。
一輪車のことはわかっていたけど、サッカーボールが気になったので、
今年はボールを もってきたよ。
これからも学校もサッカーもがんばってね!
サンタより
[次女宛て]
ほいくえんも、もうすぐおわりですね。
さいごのうんどうかい、はっぴょうかい、どちらもしっかり
できていましたね。
サンタのおじさんは、◯◯ちゃんのがんばりをしっています。
いよいよつぎはいちねんせいですね。
サッカーのボールも、すこしおおきくなりますね。
まえにピンクの3ごうボールをもってきたけど、
こんどはしょうがくせいようの4ごうをもってきたよ。(いろはあおにしたよ)
しょうがっこうにあがってもげんきにボールをけってじょうずになってください!
サンタより
次の日・・・
子どもたちは、
それぞれ(まだフィルムが被った)ボールを抱えて布団に入っていました。。。
クリスマスにサンタクロース・・・
「商業的なものに流されている」
「ここは日本なのに」
という意見は、あながち間違っているわけではありません。
ただ指導者として、
これまで何人もの子どもたちに接してくる中で、
素直にサンタを信じている子
サンタは親だと公言する子
その2つのパターンに、毎回感じることがあります。
そのうち誰もが、本当のサンタの存在を知る日が来ます。
それまで子どもの素直な心を大切にし、
子どもの心に添い、
子どもに愛情を注いでもらった子は、
真っ直ぐに成長しているように感じます。
一方、
低年齢の時期にサンタの存在を否定し、虚勢を張っている子は、
どことなく捻くれた様子を感じます。
そして、その後、歳を重ねてもそれほど大成していないように感じます。
実は、サッカーをプレーするのも人間。
その人間が、
人として“心豊か”であること
人として“ロマンチック”であること
それらが観衆を感動させるプレーができる“源”
ではないかと・・・私は考えています。
子どもたちが
これからも純粋にサッカーを愛し、
そして、
サッカーから多くのことを学び、
『人間として大きく成長していってくれること』
を期待しています。