親として・・・父の日に考えたこと
昨日は、父の日でした。
つい先日の、自クラブの中でのある会話です。
指導者:「父の日だね。どうする?」
子ども:「特に決めていない・・・」
指導者:「まあ、プレゼントが問題じゃなく、大切なことは気持ちだからね」
「ところでお父さんと最近どう(←話をしている等)?」
子ども:「厳しい」、「怒ると怖い・・特にその時の目が怖い」
『なるほど!』・・・と思いました。
“(上手な)叱り方”などという、書籍やニュース記事を多く目にします。
自身もモラハラというタイトルで、ブログを書いたことがあります。
子ども側が「やばい」と感じる叱り方が、存在していることに、
一つ安心しました。
昨日、親の一人として、“参考になる”ある記事を目にしました。
内容は、「こうなっては、しつけではありませんよ」という
親に対しての戒めの記事です。
少し内容をご紹介します。
1.「危険なことをした時」しか叱らない
・・・よく見かます。「危険なことだけをしてはいけない」
それだと確かに(自分の命には別条なく)無事には生きてはいけますね。
しかし、「人間らしく育つか?」という点では問題が多いです。
店、電車、などの公共の場で走り回ったり、迷惑をかける行為をしたところで、
(当人の)命に関わることは、ほとんどありません。
しかし、その子の将来は相手のことを考えない、
自分本位な物の考え方が染みつくことは、ほぼ間違いありません。
2.口だけで終わらせている
「うちの子、何度注意しても言うことを聞かない」
という大人の言動をよく耳にします。
店の中で走り回るわが子に対して、
「こら、走らない!」
と言うだけで、結局走らせたままであったり・・・。
「片づけてよ!」と言いながら、わが子が動かなければ、
結局全部親が片付けてしまっている・・・。
口で言っても子どもが動かない、出来ていない場合、
口先だけになっている場合が多々あります。
親は、口に出したことは、最後まで実行しなければ、
子どもは親の足元を見ながら、適当にその場をやり過ごします。
★3.「叱る時と褒める時」の落差がほとんどない
例えば、いつも優しい親が、顔色を変えて厳しく叱れば、
子どもの心には何かしらのメッセージが届くのですが・・・。
大人の側が、叱るときと褒めるときの“落差”がほとんどなければ、
(叱ったつもりでも)子どもはヘラヘラとニヤけたりします。
反対に、(すぐには結果は出ませんが)その時その時で、
子どもに『きちんと伝わっていれば』、
時間はかかっても、必ず子どもの行動や態度は変化していきます。
このたび、自クラブのある小学生の一言。
父親が叱る時の「目が怖い」・・・。
これは、真正面からわが子に向き合われている(親としての)
“正しい姿勢”であると感じました。
親が
「子どもに嫌われたくない理由からでしょうか」
また
「面倒だからでしょうか」
それとも
「倫理観や道徳心が乏しくなっているせいでしょうか」
昨今、わが子に向き合えない親が増えているように感じてなりません。
一方、大人が信念を持つと確かに疲れます。
現場でも痛感させられることですが、
子どもを育てることは、
正に“雲をつかむようなもの”に等しいように思います。
「言っても聞かない」
「効果がすぐに出ない」
信念を持てば持つほど、親子のバトルになることも想像できます。
しかし、子どもを変える力を一番持っているのは、やはり親だと思います。
それは、子どもにとっては自分を生んでくれた人だから。
親にとっても、わが子は自分の大切な子どもだから。
実は、子どもにとって一番の指導者は、
園の先生や学校の先生?
スポーツクラブのコーチ??
・・・ではありません。(※もちろん変える力は、それぞれ持っていますが)
親子の真剣なやり取りの中で、ぶつかることも当然ありますし、
親にとっては、落胆させられることも多々あります。
しかし、『親こそが、子どもにとって最大の指導者』なのです。
そのお手伝いをさせていただいているのが、
親以外の私たちのような指導員です。
長年指導の世界に立たせていただき実感したことですが、
共通して、良い環境のもとで育った子どもは大成します。
良い環境とは、学校、クラブ、仲間・・・そして外せないのが家庭です。
植物が良い花を咲かせるためには、
「土」、「水」、「肥料」、「温度」、「日の光り(太陽)」などが
“適切”なければいけません。
それと同様に、人間の大きな成長にも、
いろいろな所からの働きがけ(成長のきっかけ)が、必要となるはずです。
正にご両親は、お子さまにとって、
太陽
のような存在です。
植物が育つために必要な、『光合成』に最も関係する太陽ではないかと
私は考えています。