気づいたことをより素直に・・・
「どうすれば上手く伝えられるのか・・・」
このことを日々考えさせられます。
時代は変わり
権利や主張は
聞く側、受け取る側に移り、
話す側、発信する側は、
その聞き手(受信者)側に慎重に配慮するようになりました。
発信側が乱暴に上から目線でものを言うことは、
危険であり、それを容認すべきではありません。
影響を及ぼすであろう自身の立場を弁え、
充分に内容を考え、発信するべきだと思います。
しかし・・・
それを気にし過ぎていると
その機を逸します。
"今"、という時に大切なことを逃し、
伝えそびれてしまいます。
『今』
この一瞬しかない"タイミング"というものがあります。
このブログはどうだったでしょうか?
丁寧に細かく伝えようとするばかりに気を取られ、
スピード感が無くなっていたように感じます。
こうしている間にも
時間は刻々と流れています。
その中で感じること、
社会の
「疑問」
「矛盾」
そして、それに対する
『気づき』。
躊躇していては、その時を逃してしまいます。
瞬発力も必要です。
瞬発力と言えば・・・
それに囚われ過ぎていると、
「ハラスメント」につながりやすいです。
しかし一方で、ハラスメント問題・・・
これを気にするばかりに、
子どもに何も言えない(伝えづらい)世の中になってはいないでしょうか?
ややもすれば、
「あ、今〇〇なこと言った(△△なことした)」
と逆に訴えられることもあります。
現場の指導者は、「ブラック呼ばわりされたくないから」、
どんどん"ディフェンシブ"になってはいないでしょうか?
それは指導の現場だけでなく、どこの職場でも・・・。
例えば、販売店では客の側から、過剰なサービスを要求するケースを多く耳にします。
気象条件などやむを得ない事情で「納期が遅れる」ケースでは、
「値引きしろ!」「サービス品をつけろ!」
「閉店時間です」と言えば、
「少しくらいかまわないだろう!」
・・・。
これらは正に、「ブラック客」。
日本ではいつも、金銭が絡んでいますと、
常に(金を)もらっている側の人間の立場が、
圧倒的に弱くなります。
自身も過去に苦い経験を味わいました。
対象者(子ども)に指導を施そうとすれば、
「上から目線だ」
とまるでブラック指導者のレッテルを貼られ、
さらには
「サービスが足りない」
と言われる始末に・・・。
なぜ、このような振る舞いが許されてしまうのでしょうか。
ここで考えていただきたいことがあります。
「客側が、店側に立った」場合のことを。
思いやる気持ち、
また
その状況を感じる取る心を持てれば、
「ブラック、ブラック・・・」
と囃し立てるその言葉や考えが、
実は誤っていることに気づくでしょう。
しかし・・・
それを期待していても
残念ながら世の中の人々全てが、
賢明で、思いやりの心に激変するわけではないことも解っています。
ですから、
理不尽な批判に屈することなく、
思い切った発信を瞬発力を持って行っていきたいと考えています。
小さな草の根の言葉が、世の中を変える力になると思うから。