夏休みの宿題(基礎基本とは?)
いよいよ夏休みも終わり、各学校の2学期が始まります。
ちょうど一週間前のあるテレビニュースで、
夏休みも残りわずかとなった子どもたちに向けた、
あるプログラムについての紹介がありました。
それは、児童館で、宿題の終わっていない子どもたちを支援するための内容です。
夏休みの宿題は、自身も思い出があります。
「宿題がなかったら夏休みも楽しいのにな・・・」と、考えたことを・・・。
さて、その宿題を終わらせる企画ですが、
ある児童センターに集まり、“みんなで宿題を片づけてしまいましょう”という、
企画です。
施設の指定管理者となっています、ある社会福祉法人さんが、
集中できる環境で夏休みの宿題をやり終えてもらう目的から、
そこでは毎年、開かれているそうです。
今年は、8月23日から始まり(*25日まで)、
24日には小学1年生から中学1年生までの13人が訪れて、
漢字や計算のドリル、読書感想文などに取り組んだそうです。
さらに子どもたちにとっては、ありがたいことに、分からない問題があれば、
ボランティアの、大学生のお兄さんお姉さんに教えてもらうこともできるそうです!
このニュースを見ていまして、
私はこの企画に参加しています子どもたちの、『ある特徴』を感じました。
それは・・・
画面に映し出される子どもたちの大半が、鉛筆の持ち方に難があったことです。
これは、たまたまでしょうか・・・?
『勉強が進まない・・・⇒ 鉛筆の持ち方が不自然である』
これが、全てではないとは思います。
しかし、“基本の大切さ”を理解しているか、どうかということは、
例えば、鉛筆の持ち方ひとつ見ても分かる部分はあります。
勉強の一番初めのところ、つまり鉛筆を持つところは、
少し面倒なところではあります。
親指、人差し指で持ち
その力の入れ具合
さらに、鉛筆の角度 など・・・
最初はとてもやりにくい部分だと思います。
ただ、その「難しい」、「面倒」な部分にしっかりと向き合い、
“クリアした人”は、ある程度、字を書くことは困らないと思います。
一方、「面倒だから」という理由で、おざなりにしていては・・・
後から不都合なことが、出てくることが予想されます。
(*例えば、指が疲れる、字が上手く書けない、鉛筆を持つのが嫌になる等)
これは、スポーツでも同じことが言えます。
例えば、サッカーのボールの持ち方、
ボールを保持した時の姿勢について、
を考えてみましょう。
FIFAバロンドール(世界年間最優秀選手賞)を4回受賞しています、
リオネル・メッシ選手の、ボールを保持した時の様子を確認してみましょう。
◇ボールはどこにありますか?
◆利き足(感覚が鋭い足)のつま先の前です
◇目線はどこにありますか?
◆ボールではなく、周囲のプレーエリアです
◇姿勢はどうなっていますか?
◆背筋は伸び、前進はもちろん、いつでもボールを蹴ることができる姿勢です
これを身につけるには、やはり“良い”反復練習は欠かせません。
特に、日本には至るところに、身近な良いお手本がいるわけではありませんから、
正しい指導に基づいた反復練習は、必要不可欠です。
しかし、反復を疎かにする(適当に行う、そもそも反復を避ける)ようでは、
決して一流にはなれないのが現実です。
それには、
楽しくないこともあるでしょう。
辛い日もあるでしょう。
ただ、基本を正しく習得しておくことは、自身を助ける糧となります。
日本の伝統文化、狂言の第一人者である、野村萬斎 氏は語ります。
自己表現の“前の段階”で、基礎の型をみっちりと叩き込んで、
狂言というソフトを体にプログラミングするのが稽古です。
僕が今、映画や現代劇など、さまざまな現場で仕事をさせていただけるのも、
父に叩き込まれた基礎があるからだと思います。
「型」「基本」という制約の先に、自由があるんですね。
狂言には“型”という特有の技術があるそうです。
狂言ならではの動きや所作のことで、
「立ち方」「歩き方」の細部まで定められているそうです。
しかし、その型・・・基礎が固められると、その先、自由が開けます。
夏休みの宿題が終わらず、かけこみ寺に来た子どもの中には、
夏休みの最終日を1週間前に控えて・・・
「まだ半分も終わっていない」
とインタビューに答える子もいました。
勉強は、繰り返しの連続(*ドリル)です。
それには、少し長い時間、イスに座ることも求められます。
小学生、中学生の勉強は、正に基礎固めの内容です。
面倒くさがり、ドリル形式の内容を避けていては、
基礎を身につけることは困難です。
ただそれに向き合い、基礎を固めた子は、これから先に自由が待っています。