サッカーが“上手い”とは、どういうことなのか?
前回の記事はご覧になられましたでしょうか?
もし、お読みでなければ
今回の記事に入る前にご一読いただくことをお勧めします。
なぜなら・・・
サッカーの基礎の部分を認識していただく
重要な回であるからです。
それでは、
今回の内容を進めます。
サッカーが手が使えない不自由な側面があることは、
多くの方がご承知だと思います。
だから・・・
育成の現場では
それを克服させるために
いろいろなトレーニングを試みます。
「ボールリフティング」
「対面パス」
「ジグザグドリブル」
・・・
これらのトレーニングは
日本代表(A代表)でも行います。
ただ、
これらを無難にこなせたら
サッカーが上手くできるのでしょうか?
サッカーの技術のベースは
『正確にボールをコントロールする』
ことにあります。
でも・・・
ボールを正確にコントロールするのは
とても難しいことなのです。
なぜならそれは、
サッカーは
“ただの球蹴り、球遊びではない”
からです。
ボールを蹴ることは楽しいものです。
試合をすることも楽しいものです。
さらに・・・
親であれば
自身の子どものサッカーをする姿(試合)を観ることは
とても楽しいものでしょう。
しかしそれが興じて(度を越して)、
子どもに過度な負担を強いたり
本当の意味での将来に繋がる正確な技術習得よりも
わが子のチームが
目先の試合(直近のサッカー大会など)に勝つことを
期待してしまう親がどれほど多いことか・・・。
少年少女の年代のカテゴリーで
「サッカーの試合に勝つ = サッカーが上手い」
といえるのでしょうか?
その年代で勝つことは、
割り切ってしまえば(いろいろなことを無視すれば)
実はそれほど難しいことではありません。
具体的に育成年代のサッカーを観ていて
多々感じることがあるのです。
それは、
『その雑なボールコントロールで、これで(この先)いいのかな?』
ということ。
さらに、
システマチックに試合を運んでいるけれど
『本当に育成年代で追求する(為さなくてはいけない)部分はそこなのかな?』
とか
『相手の寄せが甘いからそんなこと(*おしゃれプレー)ができるけど・・・』
・・・・・・
とにかく、いろいろ疑問点が浮かんできます。
そして、
多くの子どもがアップ時や試合間にボールを使っている様子を観ると
“コネコネ”、“バタバタ”、“ダラダラ”
と、両足でひたすら黙々とボールを触っている(やらされている)
・・・
『これが、サッカーの何に繋がるんだ?』
と、沸々と疑問が沸き上がってくるのです。
ここでついでにもう一つ、
どうしても述べたいことがあります。
最近の子どもたちがよく口にする
「ジンガ」や「スーパージンガ」
て何???
もちろん、
これは大人が子どもに刷り込んだもの(言葉や観念)です。
過去に某公共放送でもW杯前にドキュメント番組の中で
採り上げていました。
ブラジルサッカーが最強の秘密・・・
それは
カポエイラにある。
カポエイラのジンガの動きに
サッカーのジンガがあり、
そこにブラジルサッカーの強さの秘密がある
と。。。
・・・・・・
随分昔、その番組を観た当時は、
「なるほど」
と思ったものですが、
今は全く違います。
ジンガのステップといえば・・・
ふと思い出すことがあります。
数年前(今では全く行っていませんが)
当時、試合のお誘いをいただければ、
大体二つ返事で外に出向いていました。
電車で子どもたちを引率し、
ある市外の小学校におじゃましました。
そのあるサッカー少年団の練習試合のアップの際、
そのチームの指導者は、ジンガステップ(?)のようなものを
嫌というほど子どもたちにやらせていました。
おそらく、普段の練習にも取り入れていると容易に推測されました。
しかし、ゲームが始まり、子どもたちのプレーを観ていると・・・
さっきまで行っていた“ジンガらしきもの”は、
さっぱり観ることはありませんでした。
では、なぜあれ(ジンガらしきもの)を延々やらすのでしょうか?
・・・・・・・・・
きっと
コーチたちは、
「本番(実戦)で使えるまで習得出来ていないんだ」
と考えていることでしょう。
でもそれは本当のこと❔
さらに
閉会(フレンドリーマッチ)の終わりの際、
そのチームの代表の方は、
子どもたちを前に、次のように公言されました。
「サッカーは遊びです」
❓❔❓
私の頭の中ははてなマークでいっぱいでした。
遊び?
どう見ても
あのチームの子どもたちは遊べていませんでした。
もちろん、わがチームの子どもたちも同様。
遊びたくても遊べないんです。
だって、
ボールがそこにないんですから!
そして、
『普通、遊べない』
ものです。
だって、
相手だって必死にくらいついてくるわけですし、
まずもって
“遊び”・・・?
(おふざけじゃないんだから)
相手に対しても自身に対しても
それは真っ当なやり方でしょうか❓
本題に戻ります。
私は断言します。
大人たちは、
名が通ったプレーヤーが
試合中に偶に繰り出す対敵動作を
クローズドスキル方式で、
繰り返しをさせたがりますが
・・・
やらせてもそれほど意味はありません!
というか、
ほとんど意味がないと言い切れます。
なぜならそれは、
『(長時間の試合の中)たった僅かなワンシーンだけを切り取ったもの』
であり、
相手をつけた状態で
『的確に真の守備をしてくる相手に対してはできないもの』
です。
それが
守備というものだから。
相手(攻撃者)の自由を奪い、ボールを奪取してこそ
守備の目的を果たしたことになるわけです。
(相手となるその日本の子どもたちの守備意識や技術は・・・残念ながら低いと言わざるを得ません)
簡単に言いますと、
相手のいない状態で数々のフェイントのような動きが例えできたところで、
それは、ただのパフォーマンスにしか過ぎないのです。
ジンガ・・・
という、あたかも特殊な技能?技?の名前を設けて
巷では、ひたすら子どもたちにやらせていますが、
結局は、実になっていない(身についていない)のが実情。
早くそれに気づかなくてはいけないのですが・・・
大人(指導者)が、あたかも
「コレが世界の技だ」
と断言するものだから、
子どもたちは真に受けてしまうわけです。
世界の名手たちは、
例えばこの局面で、
モタモタと呑気に
“ジンガ”
を繰り出すのでしょうか?
・・・・・・・・・・・・
「リフティングパフォーマー」
であれば別ですが。。。
観る(考える)点がここまで違えば、
当然指導の内容や質は、
自ずと変わってしまいます。
先の2つの画像、
一つ目は
13年間、アズーリ(イタリア代表)の中盤の核を担い続けた
アンドレア・ピルロ選手(元イタリア代表)。
二つ目は、
現在、ボルシア・ドルトムント(ブンデスリーガ/ドイツ)でエースナンバー10番を
背負うマリオ・ゲッツェ選手(元ドイツ代表)。
やはり当たり前ですが、
ボールは“そこ”にあります。
それを無視して(気づかないで)
華やかなワンシーンのみを切り取り、
不可思議なボールトレーニング(?)だけを繰り返していても
輝く将来は見えてきません!
地味なことの繰り返し、
それは勉強も同じではないでしょうか。
「奇跡の学習法」
などというキャッチフレーズも目にしますが、
そのようなイメージ商売に騙されてはいけません。
“基礎基本の積み上げ”
それを逃げずに確実に行えたその本人だけに
自由と選択が与えられるのです。
そして、
その自由を手に入れた人を目の当たりにすると
人は決まって
「あの人は天才」
と口を揃えます。
一方、
大抵の場合、
上手いと賢いは一致します。
それは、
成功するための方法を正しく選び、
自らを進めることができるからです。
そして最後にもう一つ。
その人(◎上手い人、賢い人)は、我慢強い
ものです。
上手くなるために、
最後までやり遂げる力を持っているのです。
新しく始まりました令和の時代。
改めて私は・・・
この自身の長い人生の中で出会ったサッカー
という素晴らしいスポーツを通して学んだ大切なことを、
一人でも多くの子どもたちに伝えていきたいと考えています。