アレグラン渡部のサッカーの素

愛知県東海市のスポーツクラブ "アレグラン東海” の代表の渡部貴朗が、自身のサッカー観を中心に、スポーツ、教育など気になることを素直に書いていきます!

コントロール

サッカーのことを考え、

ブログのことを考え、

題名探しをしていましたところ、

次のような画像を見つけました。

 

画像出典:Bored Panda

http://www.boredpanda.com/pokemon-go-control-pawel-kuczynski/

http://static.boredpanda.com/blog/wp-content/uploads/2016/07/control.jpg

作者は、ポーランドに在住のパヴェル・クチンスキー氏。

そのタイトルは、まさしく「コントロール」。

 

この絵にこめられた意味は、

ご覧になられますと・・・“一目瞭然”ですね。

 

自分でゲーム機(スマホ)を操作し、

ポケモントレーナーになっている気分ですが、

実は、のめり込むことで

気づけばポケモンに憑りつかれ、

ポケモンに操られていることになります。

 

警察庁によりますと、

先月27日までに全国で車やバイクなどを運転中に

ポケモンGOをしていたとして摘発されたケースが、

なんと400件を超えたということです。

news.tbs.co.jp

 

大切なことは、人間は“心で動く”生き物

つまり、『その“心”が行動を左右』し、人生までをも変えていきます。

これは、決して大げさなことではありません・・・。

 

では、サッカーのことに近づけたいと思います。

昨日、自クラブでは練習試合を行いました。

もちろんトレーニングマッチであっても、

試合ですから、観ている方には、勝敗、また得点や失点は、明らかになるわけです。

しかし、私はあえてそれをブログ等にも掲載しません。

なぜなら、コントロールが効かなくなることが恐ろしいからです。

まず、育成年代の試合に勝ち負けは、本当に重要でしょうか?

よく耳にしますのが、小学生年代で

「○○カップで優勝した」

「下位リーグから上位リーグに昇格した」

さらには

トレセンに●人選手を送り出した」・・・など。

私は、これを最も喜んでいるのは、

実際のところ、子どもよりも、大人ではないかと思うのです。

 

大人が子どもに為すべきことは、

子どもの様々な面をバランスよく、

確実に伸ばすということではないでしょうか。

 

誤解を招きそうですが、

では、「試合は負けても良い」のか?といいますと、それも違います。

結果、負けるのは仕方ないのですが、

最初から負けて良い試合などひとつもありません。

 

◎大人の「日頃からの真剣にプレーしようと」伝えるその言葉や行動が

 “負けず嫌いな子ども”をつくることにつながる・・・

 子どもの逞しさを育む

◎大人の勝敗ではない「育てようと」する姿勢が、子どもたちの委縮、または

 曲がったプライドを助長させることを防ぐ・・・

 子どもの自立心を育てる

 

昔から、育成年代の指導者の中では、

「“育てること”と“結果を出す(勝利を求める)こと”は、両立するのか?」

ということがいつの時代も課題になります。

私はこれまで、それは「可能」と言い続けてきました・・・。

しかし、最近は、次のように切り分けて考えています。

結果とは“勝利”ではなく、子どもたちを『上手にさせること』です。

真の技術、力を定着させ、次のカテゴリーに送ること、

これが、育成年代の子どもを担う大人の責務です。

一方、ここで大人が勘違いをしてしまいますと、

子どもは、違った方向に向かって行ってしまいます。

 

例えば、大人が「目先の試合や大会に勝利したいな」と、強く望んだとします。

そうすると、もう既に将来という目標が、真っ直ぐに見えなくなっているはずです。

過去に、クラブを去っていってしまったお子さまの中にも、

次のような言葉を聞いたことがあります。

「◇◇(←移籍を考えているクラブ)は、たくさん試合ができて、

ポジション練習など実戦的な(戦術)練習をしているから・・・」

しかし、ボールをきちんと持てないプレーヤーに、

戦術練習をして、試合をさせて一体何になるのでしょうか・・・。

子どもにとっては、

試合がたくさんできることが面白いから?

取り組みがプロチームに近いから??

 ☆ボールを自由に扱える基本がある

 ☆そのボールをいつでも「蹴る」、「運ぶ」ができるように置けている

 ☆相手が近づいてきた時にも、その技術がブレない

これを育成年代(幼児、小学生)の時に、時間をかけて培ってあげることが、

『サッカーにおける躾』だと、私は考えています。

(もちろん、その躾は「年齢や理解力に合った内容に整えて」です)

 しかし・・・

「それは分かってはいるけれど、勝たないと選手(子ども)も集まらないから」

と思っていると、これまたプレーヤーの将来ではなく、

自クラブの存続のために、子どもが犠牲になる可能性が大いに高まります。

 理想と現実・・・

とても悩ましいところですが、これにも正しく向き合っていかなくてなりません。

 

では、また一方で

「今は楽しさを知る時期だから、“遊びながら”サッカーをやればいいんだよ」

と言ってしまったら、

子どもが物事を真剣に取り組むことは、いつまでたってもできないでしょう。

『遊ぶ・・・』

“子どもは、この意味がよく分からない”のが現状で、

その中で、「遊び」という耳触りの良いフレーズを持ち出して、

「育成ですから」と大人が言ってしまっては、元も子もありません。

「勝っても負けてもどちらでもOK」であれば、子どもは楽でしょうね。

大人も当然楽です。

“上手くなくても、楽しければ良い”となると、大人はとても楽ができます。

「子どもの成長を考えて、プレッシャーをかけたくないので、楽しませています」

本当にそれで育成年代は、充実しているといえるでしょうか?

 

子どものためと思ってやっていること・・・

自分は、子どものためにコントロールしていると思い込んでいること・・・

実は「大人が(賞が欲しい、また楽をしたいといった)己の気持ちに負けているだけ」

つまり、『コントロールできていないだけ』ではないでしょうか。

 

コントロールするには、まずは“判断”です。

そして、それをコントロールし続けようとする“強い意志”が必要です。

繰り返しますが、コントロールができなくなった時、

人間の人格も変わり、人生(運命)も変わっていきます。