卒業・引退・・・旅行?
先週、
この地域の中学校、県内の高等学校は、
卒業式でした。
ここでよく耳にするのが、
競技からの引退・・・。
そして
大学生であれば
卒業旅行でしょうか。
聞くところによると、
大学サッカー引退の記念ということで “海外”に
卒業旅行に出かけている学生さんもいるようですが・・・。
ところで
卒業旅行とはなんでしょうか?
部活の仲間との思い出づくり?
それまで部活の中で、合宿、遠征などで寝食を共にし、
「もういい」
と口に出るほど、
充分に親交を深め合ったのではないでしょうか?
それでもまだ旅行に行くのはなぜでしょうか?
気になるそのお金は、どこから出るのでしょうか?
アルバイト?
親からの援助?
そして、
小学生のスポーツ少年団でも
6年生が卒業旅行に行きます・・・。
この場合は、間違いなく100%親がお金を出しています。
卒業 = 引退 ・・・。
そして、
お祝い・・・。
この構図が、今ひとつ理解ができません。
サッカーをしていたのは・・・
学校に行っていたのは・・・
自分のため?
それとも
親のため?
その旅行は、がんばった自分自身への “ご褒美”??
何を選択、判断しようと個人の自由なのですが・・・
「必要であるのか」
それとも
「必要でないのか」
人生は、
様々なところで選択を迫られ、
その結果の積み重ねが、
一人の人間をつくっていきます。
子どもの頃から、
『安易な判断をしない』こと
『望ましくない習慣をつけない』こと
これはとても重要なことではないでしょうか。
サッカーも人生も、全く同じです。
結局、
子どもの頃に受けた影響が、
成人になった時に表れます。
そして、
親となり、また次の世代(子ども)にさせてしまうものです。
私は、小学生の頃は剣道を習っていました。
剣道が盛んな土地柄で育った関係で、
学区の多くの子どもたちは当たり前のように、
小学校の体育館で実施されていました剣道少年団に加入します。
体育館は、正にイモ洗い状態。
3年生から入団可能なのですが、
入団初年度は、約一年間体育館の外で素振りでした。
そして当然・・・
最終学年には旅行があります。
目的は、東京で開催される、ある大きな大会に出場するため・・・
ですが、
それは名目上で・・・
一流ホテルに泊まること
レジャー施設に行くことが、毎回の恒例行事(楽しみ)になっていました。
当時から、少しへそ曲がりな私は・・・
あまり楽しむことができませんでした。
関西地方から新幹線を使って東京に出向き、
(記憶では)2泊3日、親子2人参加型のプログラムですので、
それは、高額な負担となります。
ですので・・・
(記憶では)5年生になった頃から
親たちは、東京プログラムのための費用の“積み立て”を行っていました。
詳細は、あまりよく覚えていませんが、
大会(試合)はあっという間に負け、
宿舎であるホテルに戻り食事をした後は、
子どもたちは部屋で自由時間。
その間、大人たちは飲み会・・・
翌日は、東京観光。
指導者、保護者は、とても喜んでいたように記憶しています。
大会は、
おまけ・・・です。
一体、これは誰のためのプログラムだったのでしょうか?
東京旅行の後、父母会から豪華なアルバムをもらいました。
そのアルバムは・・・その後、見返したことはほとんどありません。
繰り返しますが、
大人たちはとても喜んでいました。
「子どもに良いことをしてあげた」
と喜ぶ大人たちを見て・・・
6年生で人生初めて日本の首都である東京に行けたことは
感謝していますが、
大人たちの喜びようとは逆の感想が、色濃く残りました。
この小学生時代の経験は、現在種目が異なりますが、
低年齢の子どもたちを指導する立場になった今、
(先生方には申し訳ないのですが)反面教師として生かされています。
このことは、今後このブログ内で触れるかと思います。
指導者(大人)の基本は、
『自分が良かったと思ったことを子どもたちにしてあげること』
反対に、
『自分ががっかりさせられたことは、子どもたちにしないこと』
だと思っています。
一方で、
小学生時代のこの経験が「良かったな」と感じた同級生もいることでしょう。
そして大人になった今、
(何の疑いもなく)子どもにそれと同じことをさせていることでしょう。
あの頃よりも、さらに豊かな時代になりました。
だから・・・卒業旅行というものも“流行る”のでしょう。
話を再度、私の経験に戻します。
自身を含め、あの卒業旅行に参加したメンバーで、
その後、剣道を続けた子は・・・
ほとんど
・・・
いません。
つまり、
「もういいや」
「お腹いっぱいだ」
と
早い年齢で
その競技の
『引退』
へと導かれたのです。
何も解らず、
ただただ華やかなことだけを追い求めてスポーツを続けてきた結果は、
惨めなものでした。
今では、あの頃は何で毎日のように剣道をやっていたのか・・・
ふとした時に振り返るくらいです。
これが世の全てではないですが、
私の生い立ちの中での事実です。
誤った環境を与えられ
中途半端な良い結果や賞に舞い上がり、
勘違いをしてしまった子どもたち・・・。
(スポーツであれ、芸術であれ、勉強であれ)
『何のために』
それをやっているのか?
・・・
そのことを、子ども自身にいつも問いかけていくこと、
これが大人の務めであると確信しています。